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手塚治虫という天才漫画家が与えた影響

灰身滅智(けしんめっち)
→ 身も心も無にして悟りに達する境地をいう。

悟りに達する境地にいけるかどうかは別として、達観した人になりたいとどこかで思う自分がいる。

そのためには影響力を持つことが重要だと思っているのだが、幼い頃に確実に影響を与えてくれた人物がいる。

といっても直接ではなく、間接的になのだが、その人物は手塚治虫という漫画家だ。

私は漫画を読むことは悪ではないが、そこまで許される環境で育っていない。

そんな中で読むことを許されていたというか、家に置いてあった数少ない漫画に手塚治虫の漫画があった。

ただ、初めて読んだときはなんのことなのかよくわからない漫画だという印象しかない。

手塚治虫の漫画との出会い

火の鳥、アドルフに告ぐ、ブラックジャックといった作品が私の家には置いてあった。

ブラックジャックは比較的読みやすい漫画だったが、火の鳥やアドルフに告ぐという漫画は初めて読んだとき、いまいちなにが言いたいのかよくわからない漫画という印象しかない。

そして、手塚治虫の作品で最も同じような印象を受けた漫画は、ブッダという漫画だと記憶している。

ブッダ

手塚治虫オフィシャルサイト

1972年9月〜1983年12月までの期間に連載された漫画で、手塚治虫はブッダという作品のほとんどがフィクションで、正確な仏典の漫画化ではないと語っている。

ブッダという名前から仏陀を連想するとおり、主人公のシッダルタ(ブッダ)の見た目や全体的なストーリーはどこかを仏典感じさせるところはある。

実際、釈尊伝の正しい解説を臨んだ方々からはかなり反発もあったらしい。

しかし、釈尊伝をただ映像にしただけのものなら、誰でもできるし、またそんなに面白いものにはならないだろうということ、そして釈尊の生涯は様々な諸説があって、曖昧な部分も多い。

それを踏まえた上での作品となっているというわけだ。

これは読んだ人にしかわからないかもしれないが、例えば登場人物の中で主役クラスのチャプラ、タッタ、ミゲーラ、バンダカ、ナラダッタなどは、まったく仏典には登場しない架空のキャラクターだ。

片目のデーパ、ブダイ将軍、アッサジ、ヤタラ、ヴィサーカー、スカンダ隊長なども同く架空のキャラクターとなっている。

また仏典にある人物でも、全くキャラクターが違うという設定もある。

アナンダ、ダイバダッタ(デーヴァダッタ)、アジャセ、パセーナディ王、アングリマーラ(アヒンサー)、それと五人のピクなどが本来のキャラクターとは全く異なる。

こういったあたりを除くと、仏典そのままの部分を量的に見るとほんのわずかになっているのが、このブッダという作品だ。

肝心のお釈迦様の思想や教えも手塚治虫イズムが加わっていて問題になってもおかしくないというわけだ。

つまり、ブッダという作品は、お釈迦様の伝記を借りた全くのフィクションだといえる。

ただし、だからわかりにくいということも確かにあるかもしれない。

けれども、作品を読んだことがある人ならわかると思うが、火の鳥、アドルフに告ぐ、ブッダあたりの作品を小学生の低学年で読んだとして理解できるだろうか。

少なくとも、私の場合はよくわからないけど、読む漫画もないし仕方なく読んでいるという感覚だった。

手塚治虫のスゴさに気づくとき

私の場合、何度も何度も読み返しているうちに手塚治虫の漫画の奥ゆかしさを知っていった感じだ。

手塚治虫の作品で最も有名なものは、鉄腕アトムではないだろうか。

かくいう私も鉄腕アトムを見ていた時代もあるが、それは漫画ではなくアニメで見ていた。

鉄腕アトムや先述したブラックジャックという作品は誰が見てもわかりやすいというか、幼い頃の私であっても楽しく見れていた記憶がある。

一方で、ブッダと火の鳥は同じ作者かと思えないくらいに難しいというか、なんのこっちゃよくわからない作品だった。

とはいえ、小学校の低学年の頃は活字を読むよりは画がある漫画を読んだ方がいい。

なので、とりあえず作品を目で追っているような感覚だ。

それが、歳を重ねていくうちになんとなく深く理解していけるようになる。

手塚治虫の作品は何段階も手塚治虫のスゴさがアップデートされていくという構造になっている。

まず、鉄腕アトムやジャングル大帝といった小さな子どもでも理解できるような作品を出しているということ。

次に、ブラックジャックといった医学の知識がないと書けない作品を出していることから、医師免許を持っていたという事実を知る瞬間やそれ以外の逸話を知ったときにスゴさを改めて噛みしめる。

さらに、そこから年齢を重ねていくと輪廻転生というテーマで火の鳥やブッダが構成されていることを知る。

これは、ただただ歳を重ねていくと理解できるというわけではなく、読む側の人の環境によって、それこそ達観した人でなければ表現できないと気づくのである。

手塚治虫がスゴいのは、その奥ゆかしさもあるのだが、作品の発表当時に未来予測をしている点や、今の時代でも十分に通用する概念がしっかりと織り込まれているという点にある。

手塚治虫の仰天エピーソード

そして、偉人や天才には必ずといっていいほど、伝説や逸話がついて回る。

これは死後に背びれ尾びれがついていくというパータンも多く、実際どうだったのかは不明なところも大いにあるが、いくつかの仰天エピーソードを紹介していこう。

全盛期には10作品の連載を抱えていた手塚治虫のスケジュールは殺人的なものだった。

〆切ギリギリになることも多く、編集担当者からは嫌われていた側面もあり、遅虫とか嘘虫などと陰口を叩かれたりもしたそうだ。

例えば、ちょっとそこの銭湯に行ってくると言い残し、仕事場から600kmも離れた実家のある兵庫県の宝塚まで出奔したなんていう笑い話もあるほどだ。

そんなこともあり、常に3人の編集担当者が監視をしていたというのである。

1980年のコミックコンベンション事件

手塚治虫が、1980年の夏、アメリカのサンディエゴで開催されるコミックコンベンションに参加することになったときのことだ。

このときのスケジュールを聞き、編集担当者は帰国日が〆切と重なっていたことに気づき相当焦ったという。

手塚治虫から、人物のペン入れをした原稿をアメリカから送るという報告があったものの、ネーム(構成の下書き)さえ受け取ることはできなかった。

そして〆切の2日前、手塚プロを訪れた編集担当者はスタッフからまだ何も送られて来ていないと聞いて絶望する。

インターネットはおろかファックスさえない時代に絵を送る手段などない時代のことだ。

ここで手塚治虫はとある驚きの方法でこの問題を解決したのである。

まず、国際電話でスタッフに方眼紙でコマ割りを指示し、なんとか完成したコマだけの空欄原稿に、これまでの著作で描いた背景を指定、アシスタントが先行してペンを入れる。

どの作品の何ページ目の何コマ目というように、自身が書いた内容を全て暗記しており、さらに書棚の資料の収納場所まで指示していたという。

そして帰国してすぐ近くのホテルで人物を書き加え、なんとか〆切は守られたというのだ。

ちなみに、現地まで原稿を受け取りに行った他社の編集担当によると指示を出す際、手元に一切資料等はなかったそうだ。

鉄腕アトムの海賊版事件

1981年、高田馬場にある手塚プロに一冊の本が届く。

それは、臂阿童木という手塚治虫そして日本での初めてとなる国産アニメ作品である鉄腕アトムの海賊版だった。

これを手にした手塚治虫は怒りをあらわにして、ヒドいと嘆いたという。

外務省を通して抗議をするかというスタッフの問いに対して、怒っているのはそのことではないと答える手塚治虫。

彼の怒りの理由は、無許可使用や著作権侵害ではなく別のところにあったのである。

それは、日本のマンガは縦長レイアウトなのに対して中国で出版された海賊版は横長サイズで、縦長の原稿に収録できない部分を現地の人間が勝手に描き加えていたのである。

つまり、手塚治虫はそのクオリティの酷さに憤りを感じ、怒っていたのだ。

そして、こんな絵では楽しめないと手塚治虫本人が描き直した原稿を、無償で海賊版の版元へ送るという予想外の神対応をするのである。

抗議どころか作者本人が海賊版を本物にしてしまうという、手塚治虫がいかにマンガを文化として愛していたかがわかる逸話である。

その他の逸話

ネーム用の鉛筆を忘れて来たのでアシスタントが三菱uniの2Bの鉛筆を買ってきたら、秋田のuniの鉛筆でないと書けないというエピソード。

真夜中にスイカが食べたいとか、浅草の柿の種が食べたいとか、六本木のコンソメスープが食べたいといった食べたいもののリクエストが多々あったというエピソード。

スリッパがないと書けないとか、差し歯がなくなったから書けないという子どものようなワガママをいうというエピソードも残っている。

まとめ

手塚治虫の作品や人物像について書いてきたが、逸話を聞いて親近感を覚えた人もいるだろう。

そして、今の時代だともしかすると読むことをしていなかったかもしれないと思うのである。

というのも、漫画以外にも動画やゲームといったコンテンツが溢れている時代だ。

私の幼い頃には、コンテンツがなかったとまではいわないが、まだまだ制限ができた時代だったことは確かだ。

選択肢の多い遥か前の時代に、確かなクオリティで提供している作品を多々残している手塚治虫は、やはり天才だといわざるを得ない。

クリエイティブな仕事をしている人やしたいと思っている人は、手塚治虫の作品に是非触れて欲しい。

決して損をすることはないし、最初に読んだときに意味がわからなくても、ふと時間ができたときに何度も読み返してもらいたいと思うのである。

手塚治虫は天才漫画家ではなく、クリエーターの神だと気づくだろう。


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