世界最古のウル・ナンム法典から始まる法律
いわゆるアメとムチということになるが、今回はムチのところに注目しようと思う。
現代社会において、罪を犯した者には罰を科すというのは、ごくごく当たり前のいわば常識のようになっている。
けれども、この罰を科すことにも当然起源があって紡がれた歴史がある。
なにが言いたいのかというと、当然だが人類が誕生した瞬間には法典や法律といったルールは存在していなかったはずだ。
それが、現代社会には当たり前のように存在しているということは、どこかで法典や法律をつくる必要があったということだ。
法典や法律が必要になった理由
考えてみれば、そんなに難しいことではないのだが、法典や法律が生まれた理由は、基本的に人々が共同生活を営むために秩序と公平性を保つ手段が必要だったからだ。
人々が集団で生活するとなると、資源の配分、個々人の権利と義務、コンフリクトの解決など、解決しなければならない問題が生じる。
これらの問題に対処するために、人々は一定のルールや規範をつくり出したというわけだ。
古代の狩猟採集社会では、これらのルールは通常、口伝えの伝統や慣習によって伝えられ守られてきた。
ところが、人々が農業を始め、定住生活を送るようになると、より複雑で詳細な規範が必要となった。
土地や財産の所有、労働の分配、新しい社会的階級と権力構造の出現など、新たな問題が生じたからだ。
初期の文明、例えば古代エジプトや古代シュメールでは、王や神官が神の名の下に法を制定し、公平さや秩序を保証した。
けれども、これらの法律はほとんどが口伝えや個々の判断によるもので、一貫性や普遍性に欠けていた。
その後、ウル・ナンムやハンムラビなどの古代の法典が成立したという流れだ。
これらの法典は、一連の具体的な法律を書き留めることで、法の普遍性と一貫性を確保しようとした。
また、書かれた法は公に展示され、誰でも見ることができた。
これにより、権力者の恣意的な裁定を防ぎ、社会的な公平性を保つことを目指したのである。
それ以降、法律と社会は密接に結びつき、互いに影響を及ぼし合いながら進化してきた。
ローマ帝国の法典はヨーロッパの法体系に大きな影響を与え、イスラム法は中東と北アフリカの多くの国で重要な役割を果たし、中国の法体系は東アジアに影響を与えた。
また、植民地主義と帝国主義は、ヨーロッパの法体系が世界中に広がる一因となった。
近代になると、民主主義の理念や人権の観念が法制度に深く影響を与え、法律は市民の自由と平等を保護する手段となった。
そして今日、法律は国際社会の調和を保つための基盤ともなっているのである。
つまり、法律は私たちの社会を形成し、秩序を保ち、公平性を追求するための重要なツールとなったわけだ。
世界最古の法典
それでは、世界最古の法典、つまり法律はいつできたのだろうか。
上述した中に少々触れているが、ウル・ナンム法典は、世界最古の法典とされるものだ。
紀元前21世紀(約4100年前)にシュメールのウルという都市の王であったウル・ナンムによってつくられた。
ウル・ナンム法典は、たくさんのルールが書かれた古いリストのようなものと思えばいい。
人々がどのように振る舞うべきか、また誰かがルールを破ったときに、なにが起こるかを教えていたのである。
例えば、ウル・ナンム法典には、ある人が他の人の畑を壊したら、その人はその畑の所有者に麦を支払わなければならないというような法律が書かれていた。
他人の所有物を尊重することの重要性を教えているというわけだ。
また、その他の法律には、雇われた労働者への適切な賃金の支払いや、盗みをする人への罰などが含まれていた。
そんなウル・ナンム法典の全文は現存しておらず、一部の断片が発掘されているのみだ。
そして、それらの断片はシュメール語で書かれ、解読するための研究が現代でも行われているのが実態で、研究の結果、法典の内容が部分的に解明されている。
ただし、詳細なウル・ナンム法典の内容については、専門家でも議論の余地がある。
それは、断片的な情報から全体像を推測する必要があるからだ。
そのため、ウル・ナンム法典の研究は新たな発見や解釈がなされる可能性があることも覚えておくといいだろう。
学術的な研究を参照したい場合、ハーバード大学の学術雑誌のJournal of Cuneiform Studiesなどが参考になる。
いずれにせよ、現代の法律にも通ずるものがあるという理解はできたはずだ。
認知度の高いハンムラビ法典
法典という言葉を聞くと、ハンムラビ法典を連想するという人は多いのではないだろうか。
ハンムラビ法典は紀元前2000年頃(約4000年前)に古代バビロニアの王である、ハンムラビがつくった大きな石の板に書かれた法律のリストだ。
このあたりの歴史は大まかな部分もあり、上述したウル・ナンム法典から約350年ほど遅れて登場したという見解もある。
そんなハンムラビ法典がインパクトを残しているのは「目には目を、歯には歯を」という原則を導入したところが大きいだろう。
言わずもがなだが、誰かが他人に傷をつけたとき、その報復として同じ傷を受けるべきだという意味だ。
また、具体的な法律の一例としては、下記のようなものがある。
もし人が他人を殺したら、その人も殺されなければならない
これは「目には目を、歯には歯を」の原則を示していると言われている。
もし人が他人の壁を壊したら、その人はその壁を元通りに修復しなければならない
これは現代では「損害賠償」と呼ぶものに似ている。
もし人が他人の麦を盗んだら、その人は10倍の麦を返さなければならない
これは、盗みは重大な犯罪であり、厳しく罰されるべきだという考えを示している。
そして、ハンムラビ法典は現在、フランスのルーヴル美術館に展示されている。
頂部にハンムラビ王と太陽神シャマシュの彫刻があり、その下に約282の法律が楔形文字で記述されている。
学術的な研究については、ハンムラビ法典の全文が翻訳され、多くの学者がその意味と影響について研究を行っている。
特に「The Code of Hammurabi: King of Babylon」(ロバート・フランシス・ハーパー著)は、ハンムラビ法典の完全な英訳と詳細な注釈が含まれている。
国によって法律が違う理由
ウル・ナンム法典に始まった法律、ハンムラビ法典にあるルールのいずれも現代社会に通ずる部分がある。
けれども、国によって法律が違うということは周知の事実だ。
その理由は、多岐に渡るがが、主な要素としては歴史的背景、文化、宗教、政治的状況などが挙げられる。
これらの要素が、一国の法体系を形成し、その国が特定の問題にどのように対処するかを決定するからである。
一方で、世界の法律のルーツとしては、大きく分けて2つの主要な法体系があるとされている。
1つ目は、ローマ法をルーツに持つ「大陸法系」、もう1つはイギリスの法律をルーツに持つ「コモン・ロー(英米法系)」だ。
この2つが世界の大部分の国々が採用している法律の基盤となっているのである。
大陸法系は、具体的な法律を記述した法典を中心としており、ヨーロッパ大陸や日本、南米の多くの国で採用されている。
英米法系は、裁判所の先例である判例を重視し、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどが採用している。
いずれの法体系も同じルーツから派生しているとはいえ、具体的な法律や規則は各国の文化や社会状況により大きく異なる。
例えば、同じ犯罪でも罰則が異なったり、なにを犯罪と見なすかが国によって異なるというわけだ。
また、人権や民主主義の認識も国によって異なり、それが法律に反映されていく。
それから、各国の法体系は完全に独立しているわけではなく、しばしば他国の法律や国際法の影響を受けることもある。
国際社会がますます連携を深め、法律の調和化が求められるようになっているからである。
まとめ
くり返しになるが、なぜ、法典や法律が必要になったのか。
その理由についても上述したとおりで、基本的に人々が共同生活を営むために秩序と公平性を保つ手段が必要だったからだ。
世界最古のウル・ナンム法典ができたのが4,000年以上も前だということには少々驚いたが、現代社会においても法律が必要だということは、それなりに機能しているということだろう。
法律を基軸とすることで、秩序と公平性が保たれてはいるが、細かい部分では変えていく必要があるというわけだ。
法律というと罰を科すものを真っ先に想定する人も多いと思うが、社会のあらゆる面を規制し、個人と組織がどのように行動すべきかを示すためのルールだと認識すべきだろう。
そして、現代社会にどんな法律があるのか詳しく知りたければ、いくらでも簡単に情報が取れる時代が到来している。
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