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厚かましさや恥知らずを武器にする3つの方法

厚顔無恥(こうがんむち)
→ 厚かましく、恥知らずなこと。

厚かましいことや恥知らずなことは、あまり良いこととして受け入れられない雰囲気がある。

けれども、このあたりは人間関係を形成していく上で、結構重要だったりする。

厚かましく人の懐に入っていくことや、恥知らずな部分を隠そうともせずに前に進めることができる人は、実はとても強い。

自然と相手の懐に入れる人

あなたの周りに1人は、あの人だから仕方ないよねと周りが受け入れられているタイプの人間がいるだろう。

他の人が同じことをやったら、厚かましいとか恥知らずだとか、ちょっとしたざわつきがありそうなことでも平気でやってしまう人のことである。

見方によっては、非常識とか遠慮がないといった否定的な意見が飛び交うはずなのに、なぜか許されてしまう。

こういった自然と相手の懐に入れる人というのはとても得をしていて、自分の周りというか味方になってくれたら非常に心強いことは理解できるだろう。

願わくば、自分自身もそういう立場にいけた方がいいと思う人もいるのではないだろうか。

世の中には様々なルールや暗黙の了解的なしがらみがある中で、免罪符を手に入れているようなものだ。

なぜか憎めない人というのも、同じカテゴリに入るだろう。

世の中には自然にそのポジションにいる人が確かにいるし、私もときどきそちら側だといわれることがある。

けれども、確実にいえるのは、私は自然にそうなっている立場ではないということだ。

とはいえ、そちら側へいきたいという気持ちがあるので、あるときから意識するようにしていることがある。

相手の懐に入るために実践していること

コミュニケーションの取り方は人それぞれだし、相手がどう思うかは自分ではわからない。

こちらがどれだけ丁寧に対応したと思っていても、相手にそれが伝わっていなければ意味がないし、逆もまた然りだ。

つまり、相手の気持ちとか考え方は相手に依存することであって、こちら側がどうこうできることではないというのが大前提にある。

ということは、相手の懐に入るときも同様に実際に入ってみないと、あるいは入ろうとしないと相手にどういう風に思われるか、思われたかはわからないということになる。

ということで、大前提として結局どうなるかわからないので、結果を恐れることなく、まずは飛び込んでみるという勇気というか行動が大切だということになる。

その上で、さらに意識してやってきてよかったと思うことを独断と偏見で書いていこうと思う。

1)相手の名前を呼んだり書いたりすること

まず、相手の名前をしっかり呼んだり、書いたりすることは案外できていないことだったりする。

例えば、食事をご馳走になった後に御礼をすることは誰しもが経験があるだろう。

言葉でもメッセージでもなんでもいいのだが、ごちそうさまでしたと伝えることはマナー的なところもあるので、実際に多くの人が取る行動だろう。

そこに、ご馳走になった人の名前を添えるだけで、全然雰囲気が変わることを実は多くの人が知らなかったりする。

◯◯さん、ごちそうさまでしたとか、ごちそうさまでした、◯◯さんとなるだけで、言われた側の人間には印象に残りやすいし、なによりもいい気持ちになるのである。

これは、この御礼をされた人はわかると思うが、なにも御礼の場面だけではない。

あらゆる場面で名前を呼ぶということをするだけで、一気に距離感を縮めることができるし、相手のことを確実に覚えていくために脳に刷り込んでいくという一石二鳥な言動なのである。

「◯◯さ〜ん、助けてくださいよぉ〜」と厚かましく、恥知らずに近づいてくる人は、こういった名前をしっかり呼んで距離を詰めてきている人が多い。

そして、自然とそれが許されてしまうのは、やはり名前を呼ぶことや呼ばれることで、自然と距離感が縮まっていることが大きいといえるだろう。

2)笑い方

次に大切なことは、笑い方だ。

そもそも、コミュニケーションを取るときに意識した方がいいのが、笑いを入れるということだ。

プレゼンの心得みたいなものでも、よく5分に1回は笑いを入れるようになどといわれたりもする。

この笑いはある程度のセンス的なものが問われるので、仕掛ける側は結構難しいところはある。

私はあまり意識していないが、思い切って切り込むことも多いようだが、ほとんど意識していない。

というのも、よくあそこまで思い切って入れますねなどと言われることも多いからである。

ただ、私の場合には特段意識などしておらず、なにかあっても常に自分でケツを拭くということを心がけているからというのが根底にあるからかもしれない。

いずれにせよ、笑いを取るということは、ある程度のセンスが必要なので仕掛ける側はある意味でギャンブルな部分がある。

一方で、笑う側は共通した対応ができるだろう。

ここで大切なことは、相手の仕掛けてきた笑いに対して、オーバーリアクションに見えるくらいに笑うということである。

もちろん、全く面白くないのに笑ってもなんの意味もないし、本当に面白いと思ったところだけに限るが、クスッと笑うよりも両手を叩いて大爆笑する方がいいということだ。

大袈裟なリアクションだといわれるかもしれないが、コミュニケーションを取るのが上手な人は笑い方が上手なのである。

自分の会話に興味を持ってくれて笑ってもらえると気分が良いと感じるのが人の性というものだ。

自分が話す側だとして想像して欲しい。

リアクションが良い人、つまり自分が話をしていて楽しくなる人には新たな情報も自然と教えようと思うだろうが、なにをいっても無反応な人に話しかけようと思うだろうか。

それも、万人が笑っているような場面で笑っていてはダメだ。

そこで笑うんだという、この人は他の人とは違うなと思ってもらえるような場面で笑えるとその効果は何倍にもなるというわけだ。

3)弱い部分を隠さないこと

3つ目が、できそうでなかなかできないことなのであるが、自分の弱い部分を堂々と見せるということだ。

小さなプライドはすぐに捨てるようにと何度も主張しているが、それと似た部分でもあるだろう。

誰しもが弱い部分、苦手な部分は持っているはずだ。

人生を生きていれば、少なからず恥ずかしい失敗やあまり人には言いたくないような出来事にも遭遇したことはあるはずだ。

そういった部分を恥部だと勝手に決めつけるのではなく、さらけ出すことで弱点が逆転することがあるということだ。

自分はこういう部分が弱くでできないんだということを堂々と出すことで助けてくれる人が現れるし、直接的にいわなくてもそれを匂わせる程度でもいい。

弱い部分について助けてくれる人が自然と現れる人生がどれほど自分のやりたいことの実現可能性を上げることに繋がるかを冷静に考えた方がいい。

得意な人に手伝ってもらう方が、圧倒的にコスパもタイパもいいはずだ。

そして、弱い部分をさらけ出したことによってアドバイスをくれた人たちに対しては、必ず実践をするということを心がけた方がいい。

アドバイスをした側の人もアドバイスを聞いた人が上手くいかなかったら自分の責任でもあるので、その後もなにかしら気にかけてくれるからである。

素直にアドバイスを聞いてくれた人はアドバイスをした人からすると、とてもかわいく見える存在なのである。

自分の弱い部分をさらけ出す一方で、自分の得意な誰にも負けない部分をしっかりと育て上げて、その部分が自分自身の価値だと言い切れればいいのだ。

まとめ

こうやって書いていくと、厚かましいことや恥知らずなことが悪いことではないように思えてきたという人もいるのではないだろうか。

それでは、なぜ厚かましいことや、恥知らずなことが私にとってポジティブに捉えられてしまうのか。

それは、私の周りにいる人や私から見て成功していると思える人は、少なからずそういった側面を大きく備えている人たちだからである。

そして、これは年齢からきているものなのかもしれないが、そういった人たちが、なぜ受け入れられているのか、自分なりに分析をするようになった。

その傾向が身につくようになったのは、やはりそういった人たちに対して少なからず憧れがあり、そっち側にいきたいという願望があるからだろう。

それは、厚かましいこと、恥知らずなことであっても全然ネガティブではなく、場合によっては最強の武器にすらなるという場面を何度も目の当たりにしてきたからである。


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株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。