子育ての成果???
今日の横浜はとても冷えています・・・とうとうヒーターを稼働し始めました、大平です^^★
今日は、先日会った友人の言葉を紹介したいと思います。
※ここで紹介するお話は一つの例にすぎません。すべてのケースにあてはまることはありませんが、参考としてお読みください♪
その子は、私と同じく高校の頃不登校生として過ごしました。
久しぶりに連絡を取ったのですが、
話題は「なんで不登校になったのかな?」ということでした。
その子(Aさんとします)は友達も普通にいたし、勉強も頑張っていました。
そんなAさんが不登校になる理由は、一見見当たらないように思われます。
それを正直に伝えると、Aさんは、こう言いました。
『学校の授業参観日に、テスト順位表が貼り出されていたの。
私はあんまりいい成績じゃなかった。でも、まあこんなもんか、ってあんまり気にしてなかったんだ。
でも、親はすごい傷ついてた。ていうか、恥ずかしそうにしてた。
そんな親の顔を見て、
「あぁ、私って親の作品なんだ」
って思ったんだよね。』
「うちの親は、私を育てるために仕事をやめたの。
それまでは仕事をバリバリやって、成果を残してきた人だった。
それが急に変わって、
育児が人生のすべてになってしまったから、
自分の作品である子供の評価=自分の評価
と思っていたんじゃないかな。」
「それからは、親が仕事辞めて人生をかけて作り上げた作品なんだから、親に恥ずかしい思いをさせたくないって思って頑張ったんだけど、うまくいかなかった。
出来ない自分に自信が無くなって、結局完璧にできないなら、何もしたくない、評価されない場所にいたいって思うようになって、学校に行かなくなった。」
この話を聞いて、私はなるほどな、と思いました。
確かに会社だったら、成果を上げたらその分お給料がもらえたり、褒められたりすることがあるけど、
子育てはそもそも成果を上げるっていうことがわかりづらいし、いちいち褒められることもあまりないのではないでしょうか。
そういう意味で、子育ては社会で働くのと同じような明確な「評価」はしてもらうことが少ないし、「やりがい」や「達成感」はかんじづらいのかもしれません。
それで行き詰った時、子供の成績とか、才能が、親の人間としての評価と感じてしまうのも無理からぬことかと思います。
・・・でも、やっぱり、子供は親とは全く別の人格を持った人間です。
子どもが何かを成し遂げたときに、それを誇りに思ってもらえたら、子供もすごくうれしいと思います。
でも、できなかったときに。(当然、なにか失敗することはありますよね。)
それが自分たちの親の失敗のように感じてしまわれると、子どもは余計につらくなってしまいます。
親は親、子どもは子ども、親子であってもそれぞれ自分で自己実現をして、成績や才能は関係なしに、お互いを誇りに思えるようになるといいですよね。
ちなみに、そんなAさんも今では立派に社会人になっています♪
親御さんとも仲良しで、私もたまにお会いしていますが、素敵な方ですよ☆
きっと、親子でたくさんのことを乗り越えて来られたんだと思います!
REO 大平
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