「経験豊富なおじさん」vs「頭の柔らかい若者」
こんにちは.スタジアムヲタクのモリチッチです.普段はスポーツスタジアムやスポーツニュースに対して,理系目線で(データ科学など)切り込むコンセプトでやってきていたのですが,今回は僕の些細な疑問を深堀ってみようと思います.
もし面白いと思っていただけたら嬉しいです!
大学教授の一言は謙遜だったのか?本心だったのか?
私が高校1年生の時,とある大学のワークショップに参加したのですが,冒頭の一言がずっと腑に落ちず,6年が経ちました.
「頭の柔らかい若者」と,「頭の固いおじさん」の構造はよくある話ではありますが,
と感じたのを今でも覚えています.実際,そのワークショップではあまりいい意見を言えませんでした.
論理性と頭の柔らかさ
約1年半,スポーツ系の仕事をしてきたり,多くのビジネス書と呼ばれるものを読んだりして,非常に重要だと感じる力が,「論理的に意見を述べる力」です.例えば,「A→B.B→C.ならばA→C」のような論理構造が成り立っていたり,話の論点をしっかりとらえられたりする力です.
こうした力は,どれだけ頭を使ってきたか?どれだけ困難にぶつかってきたか?によって差が生まれてくるものだと思います.つまり,「若い皆さん」が「おじさん(教授)」に一歩劣る点だと思います.
一方で,頭の柔らかさは論理性とは別の能力で,「どれだけ頭を使ってきたか?どれだけ困難にぶつかってきたか?」が邪魔をしうる話なのかもしれないと思います.
頭の柔らかさとは?
現時点で僕が思う頭の柔らかさの要素は3つです.
(これからの話は,「若い人」と「おじさん」がブレインストーミングをしている様子をイメージしながら読んでいただけると,想像しやすいかと思います.)
①知っていること(事実)をためらいなく言えること
「若い人(=経験が浅い人)」よりも,「おじさん(=経験が多い人)」の方が知っていることが多いというのは多くの場合でその通りだと思います.しかし,知っていることが多ければ多いほど,「これは当たり前でしょうもないことだ」と決めつけたり,他人の意見を否定したりしかねないのだと思います.
②知っていること(事実)からより多くのことを予想できること
知っていることの量が5倍あれば,予想できることも5倍,あるいは25倍であってもおかしくないかと思います.しかし,経験を積めば積むほど,「この領域はほとんど知り尽くしてしまったから…」というような錯覚を抱いて,予想(考察)することを怠ったり,建設的な心構えになれない場合があるのだと思います.
③何通りもグループ化できること
面白いアイデアは②のような事実をもとにした予想(考察)から生まれることもあると思いますが,事実や予想を頭の中で,あるいはブレインストーミングの紙面上でグルーピングするときにも生まれると思います.例えば,「ここら辺の事実や予想は『試合開始前のギリギリに来場する人』としてグループ化できそうだな」などといった考え方です.グループの区切り方は,経験を積めば積むほど固定的になってしまうのではないかと思います.
「見方を変えれば『仕事が終わってから球場に来る人』『近隣の施設で遊んでから球場に来る人』『ご飯を外で食べてから来る人』としてグループ化してもよさそうだな」と思える力は頭の柔らかさの一つの要素なのではないかと思います.
無知で頭の柔らかかった1年前の自分と,経験を積んで頭が固くなった今の自分
こうやって,「頭の柔らかさ」を偉そうに語っているのも,先輩や仲間を反面教師にしているのではありません.無知だった過去の自分を多少見下している今の自分に気づき,反面教師にしているのです.
1年前の自分は,経験も知識も少ない中,スポーツグッズの購入をどうやってリピートしてもらうかを当時必死に考えていました.
このメモを1年ぶりに見たとき,「おじさん」になった僕が思ったのは,
たったの1年で,「頭の固いおじさん」になっている自分に驚愕しました.
しくじり大学生 俺みたいになるな
過去の自分を見下しているかのような今の自分の存在に気づいたとき,「頭が固いとはこういうことか」と痛感しました.
昔,大学教授が何気なく言っていた,「ぜひ若い皆さんの柔軟なアイデアを聞かせてください!」の意図は僕が思う通りではないのだと思いますが,おそらく本心だったんじゃないかと思います.
とりあえず「頭の固いおじさん」まっしぐらだったことに気づけた以上,軌道修正していかなければ!と心から思えるようになりました.
最後まで目を通してくださり,ありがとうございました.ぜひ,ご意見等あれば,コメントしていただけたらと思います.