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本を聞く

最近、本を「聞く」ことが多い。月々定額を支払えば、ある程度の範囲で、本が選べる。歩いている時や、電車に乗っている時や、料理をしている時や、寝る時に、よく、スマホで本の朗読を聞く。

いわゆる「ながら聞き」である。この方法に慣れてしまうと、本を「読む」のが億劫になる。それくらい、本を「聞く」のは楽だ。最近、文庫本を開くと、老眼もあると思うが、「ウッ、字がちっちゃ!」と思う。本を「聞く」時は、その悩みがない。

特に、寝る時に、本の朗読を聞けるのは、スリープ機能が使えるので、寝つきを良くするのにいい。私的には、音楽を聴くよりも、本の朗読を聞く方が、寝つきが良くなるような気がする。

本の朗読を聞くことのデメリットは、朗読する声が選べないということと、スリープ機能を使うとどこまで聞いたかわからなくなってしまうことくらいだろうか。まあ、そもそもスリープ機能を使うという時点で、それはしょうがないとも言える。定額なので、聞ける本の範囲がある程度決まっているのはなんとなく納得できる。

本を「聞いて」ばかりいると、字を見なくなり、その延長線上で、もしかして漢字が読めなくなることにつながるのかな、とも思う。また、スマホやパソコンで書いてばかりだから、手書きで漢字を書くということが、少し苦手になっている感じがする。手書きで漢字を書いていて、わからない漢字があった時も、スマホで調べるから、ますますスマホがないと何もできない。

本を「聞く」ことができるのは、スマホという文明の利器のおかげだ。スマホのおかげで、いろんなことができるようになった。これからもスマホでできることは増えていくんだろうなと思う。スマホを超えるものが出てくるかもしれない。SF小説で、「テレビ電話」と呼ばれるものがあると思うが、それは、スマホやパソコンで、zoomなどの会議システムで実現するようになった。

機械の発達で、人間の身体的能力も変わるのかもしれない。漢字を読み書きする能力もその一つなのだろう。音声入力が普通になれば、タイピングも不要になる。私たちは、とてつもない変容の時代を生きているのかもしれない。




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