リハビリ現場で働くうちに、私が1番サポートしたいのは、「摂食嚥下障害の患者さん」だと気づいた
言語聴覚士として、
高齢者に元気な未来を届けている
八田理絵のこれまでのストーリーです。
第1回の記事はこちら
言語聴覚士としてのスタート
2007年
広島県尾道市の病院(240床)に就職した。
最初の3年間は、急性期病棟と回復期病棟の兼務をしていた。
ここの病院での言語聴覚士としての私の仕事は、
ここでは大きくわけて2つある。
言葉のリハビリと、飲み込みのリハビリだ。
言葉のリハビリでは、
言語聴覚室という個室で、患者さんの「言葉の状態」を検査した上で、一緒に絵カードを用いたり、文章を読んだり、その方に応じた内容の練習を行なっていく。
入院の患者さんだけでなく、
外来で言葉のリハビリに来られる患者んもいて、
リハビリ室はいつも賑やかであった。
一方、言語室にまだ来られない状況の患者さんに対しては、ベッドサイドでリハビリをすることもあった。飲み込みのリハビリは、ベッドサイドや病棟に足を運んで行う事が多かった。
ICU(集中治療室)では、脳梗塞や脳出血などを発症してすぐのうちから、少しずつ口から食べられるように練習していく事もしていた。
この病院では、飲み込みの機能を見る検査ができた。病院と併設施設を合わせて、年間500程の検査を行なっていた。誤嚥があるかどうかのチェックや、飲み込みの運動、適切な食形態を評価していくものである。
たくさんの方の、飲み込みの様子をみさせていただいた。そして、食べることのリハビリをし、患者さんの食べられる喜びを共有させてもらえたことで、自分にとって、一番興味関心があり、サポートしていきたい分野が「摂食嚥下」になった。
栄養サポートチームや、音楽療法士さんなどとの協働で視野が広がる
NST(栄養サポートチーム)の一員として
NST(栄養サポートチーム)の一員として、新人の1年目から活動した事も、自分には大きな影響を与えた。医師、歯科医師、歯科衛生士、管理栄養士、看護師、薬剤師と共に、回診に行ったり、定期的な会議や院内の勉強会があった。
当時、NST回診で病棟を回っていると、新人の私には「どうして?」と、疑問が湧いてくる事があった。例えば、その一つが、整形外科で入院した患者さんに、当初はなかったはずの嚥下障害が見られるようになったことだ。
同時期に、SNSで、他の病院のリハビリテーション科のDrやコメディカルスタッフが、それぞれの病院で同じような疑問を持っていること、それに対しての見解を発信されていた。
その先生方からも、もっと色んな話が聞いてみたくて、学会等で集まりがあれば、真っ先に手を挙げて日本各地へ出かけた。私は、基本的にアクティブなのだと思う。
そこで、日本全国各地で食べる事のリハビリを支えている意欲的なメンバーと、夜な夜な語った事もあった。知らなかった事が知れて目から鱗が落ちたりした。また、病院に帰ったら、教えてもらった事で自分がやれる取り組みを初めてみよう、こんな工夫ができるかも、とワクワクした。
自分と違う職種の人、自分とは異なる病院で働いている人からも、話を聞いたり教えてもらったりする中で、理解できた事や解決したことが沢山あった。他の専門職の専門性の高さにも心から尊敬の念を持った。
と同時に、やはり、患者さんを支える事は、一人ではできない。いろんな職種で協働することは重要だと思った。
また、摂食嚥下障害の方のリハビリをする上で、栄養管理がどれだけ重要かということを学んだ。
今でも何よりこの考えは大事にしている。
上司や音楽療法士さんから学んだこと
ここの病院では、音楽療法士さんが2名おられ、言語聴覚士と一緒に集団でリハビリを行う場面が多くあった。音楽療法の持つ力で、私も胸が、「ぎゅっ」となって涙が出る事があった。素晴らしかった。
上司や先輩の言語聴覚士、音楽療法士さんから一番学んだことといえば、患者さんに対する声掛けや接し方だと思う。
言葉がうまく話せない、言葉がうまく理解できない、気管切開をしていて声が出せない、耳が聞こえにくい、いろんな方がいらっしゃった。
私は、ある患者さんのリハビリの時に、自分のやりたい事を押し付けるような形のリハビリを提供してしまった事がある。それを見ていた上司は、きちんと指摘をしてくれた。指摘された時には、心底情けなく、落ち込んだが、そのおかげで、いろんな事に、目を向ける視点が持てるようになったと思っている。
今でも、その上司だったら、この場面はどのようにみるだろうか?と、振り返り考える事がある。久しぶりに会って色んな話がしたい。
特別養護老人ホームでの言語聴覚士の関わり
その後、私は、この病院に併設されている特別養護老人ホームに異動になった。勤務は、有床診療所との兼務ではあったものの、言語聴覚士では、特別養護老人ホームで勤務するのは、珍しいと思う。
そこでは、100名の方のうち、約20名程が胃ろうという方法で、栄養を取られていた。
ここの特養にも、もちろんNST(栄養サポートチーム)があった。回診では、褥瘡(床ずれ)の処置を見せてもらう機会もあった。この時から、私は、より一層、食べる姿勢、普段のベッド上の姿勢、車椅子の姿勢を整えなければ、と思うようになった。
特養養護老人ホームでは、定期的に、医師、管理栄養士、歯科衛生士、薬剤師のチームで話し合いがあった。
胃ろうの方でも口から食べられる可能性がある方には、口から食べられる練習をする。夏祭りなどのイベント時には、嚥下障害の方でも食べられるような、たこ焼きやとろみ付き飲料を提供する等の工夫もした。
特に、管理栄養士さんとは、普段の食事の相談もよくしていて、大変お世話になった。言語聴覚士に必要なパートナーは、どんな時でも、管理栄養士さんだと思っている。どんな場面でも、言語聴覚士だけでは、とても食の支援はできない。
ここの特養は、食べる事への理解がある職場であった事は間違いないが、全国津々浦々、食べられる可能性がある方に、支援が届いていないケースもまだまだ沢山あるのではないだろうか?と思う。
そして、私も、言語聴覚士としてできることは、まだまだたくさんある、と思っている。
長い文章をここまで読んでいただき、
ありがとうございます!
(第3回に、続く)
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