見出し画像

世界一周に誘ってくれた貿易商のおはなし

入室早々つくえいっぱいに世界地図を広げ、鉛筆で地名にぐるっと丸をする。
毎回恒例の「ええっとね…」から始まる旅のおはなし。

新卒で病院に入職した私は、たった4畳ほどの狭い部屋で入院患者Aさんと向かい合うこの時間が大好きでした。

Aさんは失語症
失語症は脳梗塞・脳出血などによって大脳の言語をつかさどる部分が損傷されるために起こる言葉の障害のこと。症状の改善にむけたリハビリのためAさんは私の勤める病院に入院しておられました。

私の仕事である言語聴覚士は、この場所では「失語症改善のための特訓リハビリ」の実施者。ペーパー上の訓練では言葉が詰まりやすかったAさんにとって、世界地図を広げてのフリートークは発語を引き出す良い機会でした。

Aさんはかつて世界を飛び回って活躍された貿易商。

「えっとね、名前が思い出せないんだけど、ヨーロッパの海沿いの街で食べた、か‥かさな(魚)料理がとっても美味しくてね。」

失語症の影響で時折言葉を詰まらせながらも、時には表情やジェスチャーを使い、時には当時の写真をひっぱりだして、まるで私自身が旅していると錯覚するような、新鮮でロマンあふれる語りを届けてくれるAさん。

お恥ずかしい話なのですが、当時の私はエッフェル塔がフランスなのかイタリアなのかもわからない無知の極みびと。
当然、そんな己はAさんの壮大なお話に気の利いた相槌一つ打てず。会話自体はわくわくが止まらないのに、申し訳無い気持ちでいっぱいでした。

「言葉を引き出すことが言語聴覚士の役目なのに、私は職務を全うできてないじゃないか・・・!」

そんな私に対し、Aさんは度々こう言いました。
「自分の足で世界を旅しなさい。自分の目で世界をみなさい。そして自分の口で語れるようになりなさい」と。

Aさんに対する申し訳なさとAさんの格言がきっかけで、私は自分の仕事を見直すようになりました。

一般大学に通っている学生は、学生の間に留学したり、インターンをしたり、多方面のキャリアを検討したりしますよね。対して私は、言語聴覚士になることだけを夢みて専門大学に進学し、在学中は国家資格をとるために時間を費やして社会人になった組。

いざ社会に出てみると、お相手にする患者様はさまざまな社会経験を積まれた方ばかり。そして一般20代新卒と比べると尚更きわだつ、私たち言語聴覚士学生の浮世離れ感。私は専門領域に詳しいことだけが取り柄の20代そこそこの女でしかありませんでした。

これじゃあ患者様の言語障害は分析できても、全体像は把握できないと思い知りました。なぜなら患者様を取り巻く社会の中での背景が想像できないから。

うわー!このまま社会も世界も知らないまま言語聴覚士の仕事だけをしていたら、いつか頭打ちになる時がくるぞ。そんな危機感が社会人になり、特にAさんと出会いやっと湧いてきたのです。

私は大好きな言語聴覚士という仕事を‘‘一度’’やめる決心をしました。
そして10ヶ月かけて世界一周の旅へ

旅の間は、以前から興味があった各国の子育て事情をインタビューしながらまわりました。

(↑カンボジアにて)

(↑フィリピンセブでのお出かけ)

(↑なぜかネパールの新聞にも私の活動を取り上げていただきました笑)

世界一周の旅はその後のキャリアで、子育て支援や療育に関わるきっかけになった大きなきっかけです。そして世界一周に行ったという小さな勇気が、その後フリーランスに転身する小さな勇気につながった気もしています。

ほんの少しの行動で、見ていた世界が一変する

これが世界一周後の私のぼやき、です。
世界一周をしても、結局世界の1ミリもわからなかった気がするし、果てしなく無知な自分像は強化された気がするけど、それでも少なくとも自分の見えていた世界は変わった。これが世界一周をして一番良かったことだと思います。

そして様々なキャリアを踏んだことで、言語聴覚士として、前より少しは患者様のおかれてる社会的背景を想像できるようになった気がします(年齢を重ねたのもあるけど)。

旅のきっかけをくれた、キャリアをかえるきっかけをくれたAさん。
無知な私に対しても諦めずロマンあふれる世界紀行を語り続けてくれた、あなたのおかげです。

ゆったりしたあの語りにまたお目にかかりたいな。


いいなと思ったら応援しよう!