自己紹介のこぼれ話 〜コミュニケーション・コンプレックス〜
自己紹介記事にて、私はとっても言語聴覚士という職業に肩入れしていること、肩入れしたあげくnoteを始めてしまったことを書きました。
「ここまではずかしめを晒したのならば0も100も一緒である」という法則にのっとり、私が言語聴覚士という仕事をどうしてここまで愛しているかについて、誰のためでもなく自分の満足がいくまで書いてみようと思います。
これからの話を簡単にまとめると、
コンプレックスが仕事選択の理由となり
コンプレックスが仕事になったからこそ探究心をたやさず仕事ができ
コンプレックスのおかげで自分を少しだけ赦せた
というお話です(笑)はじまり、はじまり。
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私は言語聴覚士という仕事をしています。
この仕事は何らかの理由でコミュニケーションに障害を抱えてしまった人を支援するお仕事です。
この仕事につくきっかけは、身内の病気がきっかけだったり、対人援助(医療福祉)に関心があったりなどが多いようです。
かくいう私は、「コミュニケーションそもそもに関心があったから」です。
いつから関心があったかというと、小学5年生の頃。
関心というよりもコンプレックスであり、ホットワードでした。
突然ですが、“1人コミュニケーション反省会”をしたことはありますか?(笑)
私は小学生〜高校にかけて毎晩就寝前、1日のコミュニケーションについて振り返り、反省点を洗い出し、明日の会話対策を練るという“1人コミュニケーション反省会”をしていました。
ちなみに私は人生にPDCAサイクルを!みたいな熱心なタイプではないので、コミュニケーションにおいてのみ、この作業を繰り返していました。
きっかけは小学5年の国語の授業中、クラスの男子から言われた一言でした。
「福原ってどんな質問でもいつも同じ意見ばっかりやね」
この言葉は私本人に直接ぶつけられたのではなく、数名男子がいかにも快くはなさそうな顔つきでぼそっと言っているのが聞こえたのです。
私はその時までは授業中によく発言する、かつ議論好きの我強め女子でした。しかしその一言で小5の多感さの波とともに、自分の浅はかさや周りの見えなさを一気に突きつけられることになるのです。
いよいよ内省的になれた私は、これまでの私の発言にはトゲがあり、快く思っていなかった友人がいた事実も知ることになりました。
さあ1人コミュニケーション反省会のスタートです。
「あの子の言葉にはどんな意味があったのだろう」
「あの時の私の言い方は良くなかったかも」
「もっとうまく表現できれば誤解を生まなかったのに」
「明日今日の誤解を別の場面でとこう」
反省会をするようになり日々自分なりに満足感はありました。
一方で反省会が習慣化した頃には、徐々に自分自身を封じ込めるようになりました。
それが顕著になったのは中学生。
多感な時期の女子だからこそおこる噂の嵐、陰口の嵐。
最終着地点は「コミュニケーションが怖い」。
ますます本音をひた隠すようになりました。
ところが、時が経ちまだ暗黒時代渦中の高校生の私に一筋の光がさしました。
そう、言語聴覚士に出会ったのです。
医療現場見学でであったその言語聴覚士さんは、私の全ての発言を否定せず全て傾聴してくれました。あれ程心地よく安心できるコミュニケーションがあることに驚きでした。ビビビビビビと雷が体を通るような感覚。
私もこの人のような人になりたい!そう強く思ったことを覚えています。
その人に「言語聴覚士はコミュニケーションで困っている人を支える仕事です」と教えてもらいました。私はこれだ!!!!!と思ったのです。
最大のコンプレックスであり関心ごとが、将来の職業選択につながった瞬間でした。
そして私は無事に国家試験にも合格し言語聴覚士になることができました。
言語聴覚士になり、徹底的にコミュニケーション障害に向き合う中で
自分なりにコミュニケーションについて考察する機会が増えたことは私にとって+でした。
考察の結果、小学高学年〜高校まで私が恐れていたのは
言葉やコミュニケーションに存在する『なまもの感』
パターン化されたものなど一つもなく
相手、状況、自分の心持ち、経験など様々な要因で七変化する
そして気づきました。
なまものだからこそコミュニケーションの悪化は本来1人で責任など取りきれるはずがない。
そして100%自分だけのせいでコミュニケーションが悪化することはない。
双方に原因はある。
仕事を通して上記のような考察ができるようになってから、過去の自分を赦せることが増えたような気がします。
もちろん人は傷つけたくないし、言葉には注意を払っているのだけど
もしミステイクがあったとしても、自分を責めすぎないこと。
ある程度の不可抗力だと思うようにしています。(しないと毎晩1人反省会になってしまう)
言語聴覚士に出会って、
コンプレックスが仕事になって、コンプレックスがあるからこそ探究心が持続してて、同じように苦しむ人を支えたい原動力になっている。そして自分の不器用さを少しだけ赦せるようになった。
言語聴覚士という仕事が私の人生にもたらしてくれた恩恵はとてつもないなぁと思います。