2人の距離
入社から半年間で、すっかり通い慣れた社屋。
しかし今日向かうのはいつもの職場ではなく、あまり入ることのない会議室。
今日から…2泊3日の“新入社員フォローアップ研修”!!!
――――――――――
和:…。
和:(…つまんないな。)
座学の席。教壇に立つ講師の話を右から左という感じでぽやーっと聞く和。
和:…ふぁ。
つい出そうになるあくびを押し殺し、ふと同じ部屋にいる同期たちを見回す。
ぱっと見は、みんな真剣な表情。
和:(みんな真面目だな…。)
和:(普段どんな感じで仕事してるんだろう。)
和:(てか、ここにいる人全員にそれぞれメンターが居るってことだよね。)
和:(どんな人なんだろうなぁ。)
和:(…○○さん今頃何してるかな。)
和:(私が居なくて寂しがってたり…?)
和:(…そんなわけないか。笑)
なんて頭の中で考えているうちに、講師の話はビジネスマナーについての内容に。
講師:えー、ビジネスマナーというのはつまり…
和:(ビジネスマナーかぁ…。)
和:(○○さんの舌打ちはビジネスマナー的には絶対アウトだよね。笑)
苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちする○○を思い出し、思わず笑いそうになる和。
和:(はぁ、今頃何してるかなぁ…。)
――――――――――
一方、本社社屋のいつもの職場では
○○:…チッ
苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをする○○。
○○:ったく…なんであいつの穴埋めを俺がやんなきゃいけないんだ。
先輩女:まぁまぁ、今回は私もいるから。ちゃっちゃと終わらそ?笑
普段和が使っている席に座り、○○の肩をぽんぽんと叩く先輩女。
○○:ていうか、俺も研修で抜ける時間あるのに俺に代役をやらせるのアホすぎません?次は俺の代役も立てなきゃいけないじゃないですか。
先輩女:○○くんの代役は居ないと思うよ?
○○:えっ?
先輩女:○○くんが研修で抜けるって言ったって所詮1時間とかそこらでしょ?代役なんか立てなくても○○くんが1時間多く残業すればいいだけじゃん。笑
○○:うわぁ…。
先輩女:あ、私は思ってないよ?でも部長はそう考えてるだろうなーって。笑
○○:はぁ…もう辞めようかなこの会社。
先輩女:いいの?辞めちゃって。
○○:えっ?
先輩女:和ちゃんに会えなくなるよ?笑
○○:…チッ
先輩女:あー、舌打ちで誤魔化した。笑
○○:うるさいなぁ、早く終わらせましょうよ。
先輩女:へいへい。笑
各々作業をしていると
先輩女:ねぇ、(取引先)さんの取引資料どこにある?
○○:えっ…そこの棚か…もしくは引き出しとか?管理してるのあいつだから知らないですけど。
先輩女:えぇ…あれがないとどうにもなんないんだけど。
書類棚をガチャガチャと探す先輩女。しかし
先輩女:…ない!
○○:えぇ…じゃあ引き出しですかね。
先輩女:むぅ…ごめん和ちゃん!
ということで和の机の引き出しを片っ端からOPEN!
○○:うわ、なんかゴチャゴチャしてんなぁ。
○○:(また(お局様)さんにいちゃもん付けられても知らんぞ、もう。)
心の中で呆れていると
先輩女:全っ然わからん!ていうかゴチャゴチャしすぎ!メンターはどういう指導をしてるわけ?
○○:(うわぁ、この人お局様の素質あるな。笑)
先輩女:はぁ…もう!取引資料どこやったの和ちゃん…!
――――――――――
お昼前、社員食堂。
普段ここを利用している社員と研修に来た社員が一堂に会すとごった返してしまうため、研修が行われる期間はそれぞれ別の時間帯に利用するよう制限がされていた。
和:(あー、やばい。ほんっとに寝る直前だった。)
座学の間なんとか睡魔に打ち勝ったものの、休憩になっても若干眠たい身体で列に並ぶ。すると
“一緒に食べよう…?”
和:あっ…うん!
和に声をかけてきたのは、同期で同い年、名古屋支社の“あやめちゃん”。
4月、入社直後の研修では社長令嬢ということで周囲に警戒されあまり同期と打ち解けることの出来なかった和が、唯一仲良くなれた女の子。
あやめ:疲れたねぇ、午前中。
和:うん…寝ちゃうかと思った。
あやめ:あはは、あたしもー。ていうか何人か寝てる人居たよね。笑
和:えっ、ほんとに?
話をしているうちに、2人が並ぶ列はちょっとずつ前に進む。
あやめ:なぎちゃんは本社だから普段からここで働いてるんだよね?
和:そうだよ。
あやめ:じゃあこの食堂もよく来るの?
和:うん!きつねうどん美味しいよ。
あやめ:へー、じゃああたしきつねうどんにする。
話をしているうちに、列は和たちの番に。
和:おばちゃん!きつねうどん2つー。
おばちゃん:はいよー。あら?今日はいつもの彼氏と一緒じゃないんだねぇ。
和:彼氏!?
あやめ:へー、なぎちゃん彼氏居るんだ?
和:いや、居ないよ💦
和:おばちゃん…!あの人は彼氏じゃないから!💦
おばちゃん:あらそうなのかい?あんまりにも仲良さそうだから勘違いしちゃった。笑
和:もう…///💦
たじろぐ和を見てくすくすと笑うあやめ。
おばちゃん:お詫びにかまぼこ増やしといてあげるねぇ。あ、ついでにそっちのお姉ちゃんも。
あやめ:わーいありがとうございますぅ〜♪
和:…💧
その後、席について昼食をとる。
あやめ:ねぇほんとはどうなの?
和:えっ?
あやめ:かーれーしっ。笑
和:だから違うってば…💦おばちゃんが言ってたのはメンターの人のことなの。
あやめ:メンター?
和:えっ、あやめちゃんにもメンター居るでしょ?
あやめ:うん。メンターの人と一緒にごはん食べてるんだ?
和:食べないの?
あやめ:食べないよ。休憩時間はのんびり過ごしたいし、最初はいろいろ話してたけど最近は仕事の時くらいしか話しないもん。
和:えぇ…、そうなの?
あやめ:うん。
和:じゃあ、休みの日に一緒にお出かけしたりとかは…?
あやめ:え!?絶対ない!笑
和:えぇ…そういうもんなのかな。
あやめ:じゃない?他の同期の人とメンターの話したことあるけど、休みの日も会うってのはあんまり聞いたことないもん。
和:…。
和:(…私たちがおかしいのかなぁ。)
あやめ:ちなみに聞くけど…ほんとに彼氏じゃないの?
和:うん。
あやめ:でも…内心は彼氏になってほしいなって思ってるとか?笑
和:えっ?///💦
あやめ:(わかりやす。笑)
あやめ:どんな人ー?見てみたい。笑
和:見れるよ。明日研修に来るもん。
あやめ:えっ、そうなの?
和:先輩社員の講話?みたいなのあったでしょ。あれに来る。
あやめ:えー、楽しみー!なぎちゃんの彼氏♡
和:だ、だから違うってば…///💦
――――――――――
その後、1日目の研修が終了。
家には帰らず、研修に来た他の同期と一緒に宿泊施設で過ごす夜。
あやめ:疲れたねぇ…。
和:うん…もうくたくた。
研修1日目が終わった後、懇親会という名の食事会を経て部屋に戻る。
和:私…あやめちゃんと同じ部屋でよかった。
あやめ:どうして?
和:私人見知りしちゃうから…こうやって大人数で集まるのあんまり得意じゃないんだけど、あやめちゃんは…一緒に居てなんか落ち着く。
あやめ:えー、嬉しい。私も和ちゃんと一緒でよかったよ♡
和:…ふふ♪
すると
📱:prrrr...
あやめ:電話だ。なぎちゃんのスマホじゃない?
和:誰だろ…?
スマホの画面を見ると
和:あっ…
和:(○○さん…?)
和:…ちょっとごめんね。
あやめ:うん。
部屋の片隅で、電話に出る。
和:もしもし…?
○○:『おう、今大丈夫か?』
和:はい。
○○:『お前さ、(取引先)さんの取引資料どこやった?』
和:え?私の机にないですか?
○○:『ないから電話してるんだろ。めちゃくちゃ探したけどどこにもないぞ。』
和:えー…?
○○:『明日の朝までに見つかんないとまずいんだけど。』
和:そ、そんなこと言ったって…💦
少し考えて
和:……あ!!
○○:『どうした?』
和:私のお家にあります!
○○:『はぁ!?バカかお前なんで持って帰ってんだよ。』
和:昨日間違えて持って帰っちゃって…。でも今日から研修だし持っててもしかたないからお家に置いといたんです。まさか必要だと思わなくて。
○○:『はぁ…そりゃどこ探してもないはずだわ。』
和:すいません…。
○○:『まぁいいや。もう今日の研修終わったんだろ?今から取りに帰れるか?』
和:え!?私今日お家帰らないですよ?
○○:『知ってるわそんなこと。泊まってるとこ抜け出せるかって聞いてんだよ。』
和:ど、どうだろ…?
あやめの方を振り返り
和:ねぇ、今から出掛けても大丈夫かな…?
あやめ:今から!?もう門限過ぎてるからだめだと思うけど…。
和:…そうだよね。
和:あの、なんか門限あるみたいなんですけど…。
○○:『知るかそんなもん。バレなきゃいいだろ。』
和:えぇっ…💦
○○:『とりあえず、今から迎え行くからどっか目立たない所で待ってろ。何かあったら俺が責任取るから。』
和:え、いやでも…💦
📱:トゥルン♪
和:あっ…!
一方的に電話を切られ
あやめ:もしかして…電話の相手、噂のメンターさん?
和:うん…。
あやめに事情を説明する和。
あやめ:…で、どうするの?
和:…。
和:…黙っててくれる?
あやめ:もちろん♪
和:…ありがとう。
和:ちょっと…抜け出してくるね!
――――――――――
こっそりと建物を抜け出し、門の陰で待つ。
和:(寒い…。)
すると
和:あっ…!
エンシン音と共に、いつものバイクに乗った○○が現れる。
○○:おう、悪いな抜け出してもらって。
和:ほんとですよ!無茶苦茶すぎます!
○○:はぁ?元はと言えばお前が資料持って帰るのが悪いんだろうが。
和:まぁそうですけど…ていうか、バイクなんですか?
○○:これが1番早いからな。とりあえず乗れ。
持ってきたヘルメットを和に渡す○○。
○○:借り物だけど、綺麗だから安心して被れ。
和:…はい。
ヘルメットを被り、バイクに跨る。
○○:家の鍵持ってるよな?
和:持ってます!
○○:よし、じゃあ行くぞ。
和:…はい!
返事と共に、いつもの抱きつきスタイルで準備万端の和。
和:(こんな夜に、研修を抜け出して○○さんのバイク…)
和:(なんかわくわくしてきた♪)
しかし、その後少し走ったところで
和:ちょ、ちょっと待ってください!
○○の肩をバンバンと叩く和。
○○:いてぇな、何だよ。
路肩に停まり、和の方を振り返る○○。
和:寒すぎて死にそうです!!
○○:お前がそんな薄着で来るからだろうが。
和:だってバイクだと思わなかったから…!
○○:…チッ、しょうがねぇな。降りろ。
和:…?
一旦、2人ともバイクを降り
○○:これ貸してやるから、それで我慢しろ。
自分が着ていた上着を脱いで和に渡す○○。
和:えっ…でも○○さんは?
○○:いいよ俺は。早くしろ。
和:…///
ちょっぴり嬉しそうに、○○の上着を着る和。
和:(すっごい○○さんのにおい…///)
和:…へへ、似合います?
○○:いやー、全く。笑
和:むぅ…そこは似合うって言ってくださいよ。
○○:暖かけりゃ何でもいいだろ。ほら、行くぞ。
和:…はいっ。
ということで、再出発。
○○:うぅ…
和:…寒いですか?
○○:…気が狂いそうなくらい寒い。
和:や、やっぱり上着返します…!
○○:いい。お前が寒がってる方が嫌だから。
和:…///
さり気ない一言にちょっぴりきゅんとくる。
赤信号に引っ掛かり、停車。
バレないように照れながら、抱きつきスタイルで○○の腰の辺りに回していた腕を、○○の辺りへ。そして、出来るだけ背中へ密着…
○○:…どうした。
和:なんというか…ちょっとでも○○さんが暖かくなればいいなと思って。
○○:…そっか。
○○の服を着て、○○に抱きつく。
和:(○○さんに包まれてるみたい…///)
照れているのが、バレないように話しかける。
和:○○さん。
○○:ん?
和:今日…仲の良い同期の子に聞いたんですけど。
○○:うん。
和:他の子は…メンターと一緒に食堂でごはん食べたり、休日にどこかに出掛けたりしないんですって。
○○:まぁ…そうだろうな。
和:えっ…?そうなんですか?
○○:だって、俺も新人の頃(先輩女)さんと休みの日に遊びに行ったりしたことねぇもん。仕事終わりに飯くらいならあるけどな。
話しているうちに信号が青になる。
和:…。
和:(やっぱり…そういうもんなのかな。)
和:じゃあ…なんで○○さんは(先輩女)さんとしなかったことを私にしてくれるんですか?
○○:……さぁな。
○○:まぁでも…たまに思うよ。
和:…?
○○:メンターとしては…ちょっと距離が近すぎるのかなって。
和:…。
和:…そんなことない。
○○:…えっ?
抱きついている○○の服を、きゅっと握る和。
微かに感じる、○○の鼓動…そして、呼吸。
和:(○○さん…。)
――――――――――
そうこうしているうちに、和の家に到着。
和:はい…これ。
家から取ってきた取引資料を渡す和。
○○:おう。ありがとな。
和に貰った資料をパラパラと捲って確認する○○。
○○:…よし、戻るか。
和:えっ、もう…?
○○:当たり前だろ。脱獄してるのがバレる前にお前を帰さないといけないし。
和:…囚人みたいに言わないでください💧
ということで、帰り道。
和:…。
○○に抱きつきながら、過ぎ行く街を眺める。
和:(早いな…もうここかぁ。)
“こうやっておでかけした時って、行きと比べて帰りはすごくあっという間に感じません?”
“まぁ…わからんことはない。”
“その度に…終わってほしくないなーって思うんです。”
初めて○○のバイクに跨った日の会話を思い出す。
今も…全く同じ気持ちだった。
和:…。
キュッ
抱きつく腕に、自然と力が入る。
最初はタンデムバーを持って走るのが怖かったことから生まれた“抱きつきスタイル”も…
今ではすっかり、“好きな人に不自然に思われることなく抱きつくことの出来る時間”。
和:…○○さん。
○○:ん?
和:…お腹空きました。
○○:はぁ?夕飯食ってないん?
和:食べたけど…こんな時間に駆り出されたからお腹空きました。
○○:えぇ…そんな悠長に飯食ってる時間ないだろ。
和:コンビニで肉まんとかは?
○○:ああ…そういう感じね。それならまぁ大丈夫か。
ということで、適当なコンビニで肉まんと飲み物を買い、近くの公園のベンチ。
○○:俺今シーズン初肉まんだわ。
和:ふふ、私も。
互いに、肉まんを頬張る2人。
○○:うまっ。
和:ふふ♡
ほかほかに湯気が立つ肉まんで頬を膨らませる○○を見て、思わず笑顔になる和。
○○:…今気づいたんだけどさ。
和:?
○○:お前ん家に寄ったんだからさ、お前が自分の上着取ってくれば俺の上着返せただろ。
和:あー…たしかに。
○○:ったく…。てか、俺の服に汁とか飲み物とか溢すなよ。
和:溢さないですよ。子供じゃないんだから。笑
笑いながらそう言いつつ
和:…あの。
○○:ん?
和:…寒いですか?
○○:当たり前だろ。何を今さら。笑
苦笑いの○○。
○○:まぁ、でも…
和:?
○○:走ってる時は…お前がくっついてたから背中側は暖かかったわ。
和:…ふふ。///
嬉しそうにはにかむ和。
和:じゃあ、今も…
身体をずらし、○○の方に寄り添って
和:こうやってくっついてれば…暖かいかな。///
○○:…うん。
秋の深まりを感じる10月下旬の夜。
寒空の下食べた肉まんはあっという間になくなってしまい、今まで食べたい肉まんの中で1番小さく感じた。
ただ、その代わり…
今までで…一番あつあつで、美味しく感じたのだった。
――――――――――
その後、宿泊施設に到着。
借りていた上着を○○に返し
和:これ、ありがとうございました。
○○:おう。
和:また貸してくださいね?
○○:なんでや。笑
思わず笑ってしまう○○。
○○:どうだ、バレずに戻れそうか?
和:…大丈夫だと思います。同じ部屋の子には訳を話して、黙っててねってお願いしたので。
○○:…そうか。まぁ誰かに何か言われたら俺に言え。悪いことしてるわけじゃないしな。
和:はい。
○○:じゃあ…今日はありがとう。無理言って悪かったな。
和:いえ。楽しかったです。
○○:…。笑
和の表情を見て、嬉しそうに微笑む○○。
○○:じゃあ、帰るわ。残りの研修も頑張れよ。
和が建物に戻るのを見届け、○○も帰路につく…と思いきや
和:……。
○○のことを見つめたまま、動こうとしない和。
○○:…井上?
和:………。
和:…○○さん。
○○:どうした?
和:……。
何か言いたそうに、立ちつくす和。
○○:………。
和:私……
○○:…?
手で自らの胸の辺りを押さえ、○○を見つめ続ける。
和:もう……私、
和:………我慢できないです。
○○:……?
和:○○さんさっき…言いましたよね。
和:私たちは……距離が近すぎるのかもしれないって。
○○:…ああ。
和:私は……もっと近づきたいです。
和:○○さんのことが…
和:………好きだから。
突然の和の告白に、驚いた表情の○○。
○○:井上……
和:メンターだけじゃなくて…!
和:私の彼氏に…なってくれませんか?
この世に産まれて、18年。あと数ヶ月で…19歳。
おそらく、今が1番心臓がバクバク言っている和。
○○:………。
○○:………ありがとう。
○○:………嬉しい。
そう言って、和に向かって優しく笑みを見せる○○。
しかし、その笑みはどこか無理をしていることに
和は…すぐに気づいた。
○○:………ごめん。
和:………。
○○:少しだけ……時間をくれないか。
――――――――――
深夜、宿泊施設。
慣れないベッドに…慣れない布団、慣れない枕。
そして、慣れない…感情。
研修1日目の晩、
和は、一睡もすることができなかった。