自己啓発の落とし穴

人は誰しも心を病むものだ。また、それを引きずったまま生活することも多々あるだろう。現代社会に生きていて、病んだことがないような人に対して、私は羨ましさと同時に憐れみさえ感じる。その感情は、家庭不和も、自己矛盾や葛藤も、その他のあらゆるしがらみに出会わずに来た他者への腹立たしさを裏返した結果だと思う。

さて、前置きはこれくらいにして、最近しばしば考えているのは自己啓発の落とし穴についてである。ただしここで言いたいのは主に『自己啓発本』の類の危険性についてだ。この種の本は大きく2タイプに分類できる。

まず1つ目は、メンタル面の不調に対して段階的なアプローチを挙げ、その実践方法が解説されているもの。このタイプはメンタル不調の状況にある人にとって、実践するにはハードルが高いが、階段を登るように少しずつ回復へ向かう構成になっていることが多い。書き方も客観的、分析的であり、それが読者の客観性を刺激する。

鬱状態にあるとき、多くの人は冷静な客観視を忘れ、主観で自己を否定してしまう。それを修正してうまく客観的に捉えられるようにする役割を担うのがタイプ1である。

そして2つ目が、ひたすら自己の正当化と激励によって明日への希望を持たせんとするもの。世の中に出回っているほぼ全ての啓発本はこのタイプであるが、これは正直メンタル不調の人にとって害悪にしかならない。おそらく対象読者は「今日はちょっぴり落ち込んでるからこれ読んで明日からまた頑張ろう!」という心持ちの、一度寝たら忘れる人々だろう(仮想であるが)。それで治るなら苦労はないので、羨ましい限りだ。

私も『嫌われる〇〇』を読んでみたが、あまりにもつまらなかったので途中でやめて捨ててしまった。アドラー心理学のトラウマを認めない考え方に賛同できないのもあるが、読んでいて何か利己的な雰囲気がしていい気分ではなかった。ただ、欧米の個人主義を中途半端に取り入れた結果、家族を含む社会的な集団を軽視するようになり、自己責任の押し付けの凝縮された社会へと完成された日本でヒットしたのは納得できた。

上記の2つの内、後者が精神不調の人には危険な書籍群である。例は一つしか上げていないが、大多数の啓発本はこの類の焼き増しなので、読むときは気をつけるのが懸命だ。落とし穴にはまらないようにしたい。

なお、特定の書籍を貶める目的で書いたわけではなく、全て私の個人的な意見である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?