夫に手帳を見られたはなし
――青天の霹靂。
夫が普段触らない場所にしまっていることで安心しきっていた。とても無造作に、不用心に置いていたわたしの責任だ。
たまたまほかの物を取ろうとして落としてしまったそうだ。中を見てしまったことを言いづらそうに謝られた。
以前にも書いたがわたしは、夫に手帳を書いていることを隠している。
もちろん手帳部のことも一切話していないし、今後話すつもりもない。
手帳を見られてしまった今、アンバサダー活動をしているわたしは身バレの心配すら出てきたわけだ。
そんな心配をしつつnoteを書きたいと思ったのは、この時の胸の内を言語化しておきたかったから。
葛藤を知って、申し訳なく思った
これが、まず最初に言われた言葉。
去年の(わたしが勝手に思っている)夫婦暗黒期、自分のことや娘のこと、夫に対すること、すべての悩みを手帳にぶつけていた。
その時の狭い視野で、一方的にひどいこともたくさん書いていたと思う。
それに対して怒らずに、反論するわけでもなく、謝罪されたことにまず驚いた。
いろんな葛藤をここにぶつけて、たくさん悩んでいたことをはじめて知ったと。もっとできたことがあったかもしれないと。
その言葉を聞いて、あぁ、わたしはこの人のこうゆうところを好きになったんだよなぁと思った。とても理性的で、本質的なところ。
感情的なわたしとは大違い。
同時に沸いた一つの疑問
夫からの謝罪を受け、どこか困惑した気持ちもあった。それが何かは、混乱していてすぐにわからなかったが、時間が経ってその違和感に気づく。
それは「今回はじめて知ったのか?」ということ。
もちろん、抱えていた葛藤すべてを話してはいない。
でも、要所要所で、大切なことは伝えてきたつもりだった。
それは伝わってなかったのだろうか?
え・・・ちょっと戸惑いを隠せないんですけど。
子どもがいると、思考力が圧倒的に低下する。
そもそも二人分の判断をするだけで脳は疲労しているし、おまけに常時話しかけられて、考えは一向にまとまらない。
だから冷静にいられない自分を保つために、早朝ひとりで頭の中を整理していた。整理して、落ち着いて、選択して伝えてきたはずだった。
その結果、約1年かけてすこし夫婦関係が変わってきた気がしていたのだけど。わたしの気のせいだったのかな…そうか、うん。
それぞれ、抱えているものがある
でもわたしは、伝えることをあきらめてはいない。
ただ、全部伝えたいとも思っていない。これからも、自分が外に出したいことだけ出すと決めている。
母としての自分しか見えなくなった絶望と、社会との断絶感。夫が仕事で活躍している様子を頼もしく思う一方で、どこか嫉妬が混じっている。
わたしだって、
と思いながら、後ろを振り返ると崖があるだけ。前につづく道は頼りなく細くて、それを必死で太く丈夫にしようと、自分軸を探してる。
こんな気持ちが夫にわかるだろうか。手帳に広がる試行錯誤を見たところで、想像すらできないだろう。
わたしの経験はわたしのもので、だから全部伝わらなくてもいい。
ただ、家族としていろんな想いを抱えながらやっていることに思いを巡らせてほしいとは思う。
でも、それはわたしも同じ。夫や、これからいろんな悩みを抱えるであろう娘に対して、想像力を忘れてはいけない。
そんなことを考えた、春の忘れられない大事件。