水辺まで連れていかれても、水を飲む「最後の鍵」は自らの手の中に
イギリスのことわざ、
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない
(You can take a horse to the water, but you can’t make him drink)
を、感じる機会がふえた。
水を飲むかどうか決めるのは、その人自身がきめる義務があり、私が決められる権利はない。だから、頭をしずめて飲ますような、つまり他人を無理やり操作して行動や選択を変えることはできない、ということなのだ。
こんな自分はダメだなと思いつつも、「こうした方がこの人のためな気がする」という気持ちがわく。でも、それは押しつけることなく、胸深く沈めておくべきことだといつも思う。「こうした方がいい」は、私がこれまで経験して培った価値観をまじえた"主観的な考え"であり、相手にとって最善な意見とは限らないからだ。
たとえば、結婚している友人が浮気をしていても。
「それは、愛ではなく性欲でしょう」と思いつつも、友人が危険な行為をしていると軽く忠告と心配をして、アドバイスをしたくなったらグッとおさえる。
たとえば、ある悩みを何年も抱えて、苦しそうにしている知人がいても。
私ができるのは、今ある苦しみを和らげるために話を聞くこと。なぜなら、悩みを解決する方法は、その人自身にしか知り得ないことだから。「悩んでいる」という割に解決しようとしないのは、その人にとって必要な悩みかもしれないから。「私はこれでいい」と思えばラクになれるのでは?と、思っても飲みこむ。
浮気相手と別れるかどうか。悩みのなかに居続けるか、脱出するか。そこからはあなたの人生、私が踏みこめるのはここまで。心の中で、しっかりと線引きをする。
でも、一定数「水を飲ませてもらいたい」と願う人もいるから難しい。
かつて私も「水を飲ませてもらいたい」と、願う側だった。だから、そう思いたくなるのも分からなくもないと、懐かしさ半分な心境でこれを書いている。
変わりたい。でも、水辺まできているのに、口をつけるその「一歩」ができない。勇気が持てずに、尻込みしてしまう。無理だとわかっていても、どこかで水を飲ませてもらう(変わらせてもらう)のを期待している自分がどこかにいた。
パッとでてくる例が、ダイエット。
パーソナルトレーニングに通えば痩せられると思い、ウン十万とつぎ込んだ。
痩せたい、誰よりも痩せたい気持ちは負けない。でも、うまくいかない。パーソナルに通いさえすれば、何度も失敗してきたダイエットも成功できるはずだ......と、藁にもすがる気持ちで。
週1,2回のトレーニングよりも、自分のライフスタイル、何を食べてどう動くかのようがよっぽど大切だというのに、どこかで「痩せさせてくれる」と期待していた。他人が手をとり足をとり、行動をうながし「これを食べなさい」と口に運んで、痩せるまでずっと面倒をみてくれやしないのに。
私に必要だったのは、誰かに水を飲ませてもらうことよりも、自ら水を飲もうとする”勇気“と、水を飲もうとする過程の中でうまれる悩みや葛藤を他人任せにしない、”逃げない覚悟“だったように思う。
もし、本心から変わりたいと願うなら。今ある悩みが、あなたの人生の妨げになっているなら、今から話すことを覚えておいてほしい。
水辺まで連れて行ってくれる人、つまりサポートをしてくれる人は世の中にたくさんいる。
でも、水辺のギリギリまできたとき、最後の最後に水を飲むかどうか。大きな一歩をふみ出し、自分を変えられるかどうか。「最後のカギ」を握るのは、自らの手の中にしかいない。
あなたならきっと、どんな困難にも立ちむかえる。
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