わからない日記 6/6-6/12 2022
6日(月)
頼まれたわけじゃないんだけど再度依頼するより自分でやった方が楽と勝手に判断してやってしまい、気付くと時間が少なくなっている。こういうコミュニケーションの取り方してるのも仕事出来ない要因のひとつということはわかっている。わかってはいる。
7日(火)
前日ギリギリだったので1本早い電車に乗ったのに結局また電車が遅れてて数分前着。
糖衣を画像検索して「正露丸糖衣A」の糖衣の意味を知る。今まであのCMは「正露丸」「オーイェーイ!」だと思ってた。なんだそれ
8日(水)
姉が母を殺す夢を見て深夜に目覚めた。自分が代わりに出頭して罪を被るのも嫌だけど、赤のスーツケースに詰め込まれた遺体が腐っていく方が嫌だった。姉も私も今より少し若かった。
張り替えられてるタイルみたいな人工芝を眺めながらコーヒーを飲む。
言葉が通じるからといって意思疎通が取れるわけではない。ディスコミニケーションと思ってほとんど立ち尽すような気持ちに。本意を汲み取ってくれないことに苛ついてしまうのはこちらの勝手なのだけど。向き合う気がないなら怒りは手放すしかないとyoutubeでラランドのサーヤが言っていて、悲しいけど全くその通りだなと思う。
最低限はやってくれ〜と思うがその「最低限」にも個人差があるのだろう。誰かから見ればわたしも苛立ちの対象だろうし。
9日(木)
好意がダダ漏れすぎだったなと帰りの電車で思い返して恥ずかしくなった。尻尾がなくてよかった。
10日(金)
塩分に次ぐ塩分。過食は立派な自傷行為だ。いつになったらやめられるのだろう。
11日(土)
起きてシャワーを浴びて久しぶりの新宿。犬王を見た。王道のボーイミーツボーイで、なるほどだから松本大洋なのかと納得。もちろん理由はそれだけではないだろうけど。その反動で?ガールミーツガールが読みたくなった。パッとは浮かばないんだけど。
物語の中盤、犬王の鯨を待つ聴衆は現代のフェスの観客と何ら変わりなくて、なぜか少し嬉しくなった。教科書に載ってない人たちも流れの中には確かにいて、むしろそういう人たちの方が多くて、それぞれがわずかでも誰かに何かに影響を及ぼして今日がある。
半月でカレーを食べて中野方向に歩く。日差しはそこまで強くないが20分以上歩くなら日焼け止めを塗ってくるべきだった。
黒目の大きなアジア人の店主が八百屋の店先に立っている。ザル大盛りのミニトマトが180円で売られていて少し迷った。川沿いの不織布のマスクが干してあるベランダ。
東中野近くの神田川の遊歩道横のセブンイレブンには冷凍スムージーがあった。
12日(日)
昼過ぎから脱水で地獄を見た日。最初はいつもの生理中の腹痛だと思っていたのにトイレで座っているうちに脂汗が出てきて、あっこれまずいな救急車かなと迷いながらドアを開けたらもう動けなくなってた。チカチカする視界の中グリーンダカラの買い置きがあるのを思い出して波が引くまでシンクの前で蹲って耐えていた。怖かった。大袈裟だけどひとりで生活してくってこういうことなんだと、その過酷さを想像するには十分な出来事だった。しばらくシンクの前から動けずにいた。
夕飯を食べて母に電話。死にそうなった、と伝えられる人がいるうちは生きてる方がいいなと思った。
「世の中は不公平なんだから、得をする側にはなれなくてもせめて損をする側にはならないようにしなさい」と言われて何も返せなかった。その不公平自体を少しでも解消したいと思うのは多分傲慢で世間知らずで恥ずかしいことだろうから。
いや、恥ずかしいことではないのだけど、今の私が話しても恥ずかしいこととしてしか捉えられない。伝える技量を持たない。
13日(月)
アジカンのこの間出たアルバムの一曲目のYou To Youの冒頭が、そんなに回数聴いた訳じゃないのに迫ってくる
「札束握りしめて 時間を売って何を買う」
ゴッチの描く歌詞の暖かさや優しさ真摯さに、見ている世界の厳しさを思う。