10月25日

もくもく木曜。

定時上がりの日々は過ぎ去りがっつり残業。同期と話しながら作業していたんだけど、ナチュラルに他人を下に見ている発言をされるとどう返せばいいかわからず、会話に妙な間が出来る。

家族や友人、親しい間柄であればどういう意図で言ってるの?と聞けるけど、そうじゃないし、自分が気にしすぎなのかもと思い込みその場をやり過ごした。でもやっぱりあれはないよなと後になって思う。

中途半端で、意思のない関係は難しい。今以上に親しくなりたい訳でもないけど和やかには過ごしたい。0か1が楽だけど、その間をきちんとやれるようになりたい。


帰り道電車に揺られながら、恋愛は体があってこそだよなということを考えていた。セックスのことだけじゃなくて、もちろんそれもあるんだけど、笑った時の目尻の皺が素敵だったり、側にいてほしいと思ったり、その手に触れたいと思ったり。

衝動や愛おしいと思う気持ちはどうしても体に付随している。


私たちがもし体をもたない、プカプカ浮遊さえしない、データだけの二進数の人工知能だったら他者との間に愛情は芽生えうるのだろうか。

その状態だとそもそも相互コミュニケーションも必要ない?


思っている、感じているの主語は「わたし」という「意識」であると思いがちだけど、実は体だと気付く瞬間がある。

それは多分恋愛とスポーツ、あとは楽器を弾いている時もそうなんだけど、最近そういう習慣が減って、満員電車と肩こりで自分の体を感じるようになっているのは勿体ないな。

#日記 #体 #恋愛 #満員電車

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