枠と枠との隙間に

友人、知り合い、同期、恋人、家族。

関係性を表す言葉は沢山あって、大体はそのうちの一つ、ないしは二つくらいに当てはまる。というか当てはめることで人間関係をわかりやすくしている側面が少なからずあるのではないだろうか。

上司だから敬え、家族だから大切にする、そういうのを鵜呑みにして考えることを放棄してないか?と思うのだ。


名前を付けることによって失われているものはないだろうか、と。


例えば同性の友人に対し、恋愛感情ではないが限りなくそれに近い焦がれるような感情を抱く時もあるし、全く血縁関係のない恩師に不思議と亡くなった祖父の影を見る時もある。


名前のつけられない関係にこそ宿る切実さは間違いなくあるし、自分の支えになっている、引っ張られている関係性や感情はそんなものばかりな気もする。

だから少々面倒でもそのもやもやした説明しづらい感情や関係は、無理矢理枠にはめず出来る限りそのままの形で持っていたい。


「人生は要約できねえんだよ」

とは伊坂幸太郎のモダンタイムスに出てくる台詞だけど、人間関係もきっとそうで。

(長い小説から一文だけ抜き出すこの行為が暴力的だというのは重々承知で)物語の本質も、あらすじから外れたところにあるんじゃないかななんて思う。


#エッセイ #枠 #人間関係

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