「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んだ
芸能人でもミュージシャンでも友人でも、好きの次の段階として「この人についていこう」「信じてみよう」と決心する、更に惚れ込むような瞬間が度々あるけれど、オードリーの場合のそれは鮮明に覚えている。
2016年10月下旬のオードリーANN。その日はスペシャルウィークで、ふつおた祭りと題しリトルトゥース(番組リスナーの呼称)からの質問に2人が答える回だった。
番組の最後に「ダヴィンチの連載に『死んだ親父の写真を見た』と書かれていたけど、若林さんのお父さん亡くなられたんですか?」というようなメールが取り上げられた。
それ対し若林さんは経緯を話し、お葬式の話をちゃんと面白く話していたのたけど、それを聴きながら私はどうしようもなく泣いてしまって。
無理してるとかじゃなくて、当人にとってはごく当たり前の対応だったのだろうと今は思う。
でもその時の私は、プロってすごい、人が強くあろうとする姿ってこんなに美しくて、人ってこんなに強いのか!と勝手に驚き、勝手に感動していた。
そしてその話に春日さんがいつもと同じように相槌をうっていて、初めてオードリーがどういうコンビかわかった気もしていた。
(失礼だけど)この先つまらなくなっても番組が続く限り聴き続けようと思った。
本の話に戻ります。
終盤泣きながら読んでいると「自分がラジオリスナーだから感動してるんじゃないの?」という声が聞こえてきて一旦本を閉じた。
確かにそれもあるとは思う。
だけど絶対それだけじゃない。
なぜならお父さんの話だけでなく、東京でもキューバでも感じてしまった疑問や感情を無視せず愚直にそれに向き合う姿勢に、オードリー若林というよりはこの本の主人公に私は胸を打たれたし猛烈に憧れたからだ。
色々書いたけど、毎日見ているSNSのTLに並ぶ言葉や写真、その裏にあるであろう思惑も全て投げ捨てキューバに夕日を見に行きたいと思うくらい、旅行記として面白い。
あと会いたい人をつくる努力をしようと思った。私も会いたい人がほしい。若林さんが言うように、家族って楽しいんだろうな。
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