2021.10.03
朝一のドライブ・マイ・カーを予約していたのに寝坊した。ダッシュで準備しても間に合わない時間だったので潔く諦め、考えるより先にYouTubeを開き布団にくるまったまま続きを再生する。元アパレルスタッフの人のチャンネルなのだけど、「こうなりたい」や「これが好き」が明確な人の発信は気持ちいいものだなと思う。彼らは簡単そうにそれをやってのけるが、そういう気持ちを割と無視し続けてきた私は、自分の「こうなりたい」「これが好き」を把握出来ないことに最近になって困っている。
それを選んでるのは消去法じゃなくて?その言葉も自分で考えたと思ってるけど本当にそう?どこかで見聞きした感想や意見をさも自分のもののように錯覚してない?考えてるようでおんなじところぐるぐるしてるだけじゃん。っていうかそれ逃げじゃない?そういう声は一度鳴り始めると中々止まない。
実際、自分がどうしたいかを理解出来ている人の方が少ないのかもしれない。自分を操作できると思うこと自体が間違っている。
最近ますます旅が恋しいのは、noteにも何度も書いていることだけど、体の反応は信じられるからだ。鮮やかな海を見た時に胸がすく思いがするのも、美しい建築に圧倒されて足を止めてしまうのも、全部言葉で掴むより先に体が知ってる。
ベッドから抜け出し、新品のバスタオルを水だけで洗う。洗濯物を干すのが好きだ。晴れた日、外に干せるのが嬉しいのは何なんだろう。きちんと生活をしている感じがするからかな。いや、単純に天日干しの匂いが好きだからかな。
仕舞うタイミングを逃したり畳むのが面倒だったりで干した以降の作業は嫌いというより苦手だ。それでも今年の梅雨に大きな除湿機を買ってからはずいぶん楽になった。今年買ってよかったもの暫定1位。去年は間違いなくストウブ。
行き先は決まってなかったけど出かけようと着替えて軽く化粧をする。ひとまず腹を満たしにコンビニへ。ソーセージエッグマフィンとトマトジュース。無塩のトマトジュースっていつから飲むようになったんだっけ。
fuzkueも頭をよぎったがザッピング的に読みたい気分だしなぁと座椅子に寝そべりながらニューヨークで考え中を読んだり昨日から読み返してる断片的なものの社会学を読んだりiPhoneの小さい画面で雑誌を読んだりしているうちに西日が入る時間帯になっていた。せめて八百屋に行こうと16時くらいには思っていたはずなのに気づいたら手の甲によだれを垂らし、ベッドで寝ていた。
月曜日がくるのが嫌でこれを書いている。しんどすぎて逃げ出したいという訳ではなく、なんかもっと平熱でのっぺりと嫌なのだ。
めそめそはしてないが、どんよりしている。泣いてスッキリするわけでもない分こちらの方が手詰まりだ。
目抜き通りの歌詞の「不幸だった訳がわかっている今」に早くなりたい。
来週は折坂悠太のアルバムが出るし週末には違国日記の新刊も出る。なんとか乗り切りたい。テークさんのアルバムも確か来週だったはず。
先週のcnann0でかかっていたR-指定が客演で参加した曲の線香花火のくだり、何度か聴いているうちに切なさや熱さより眩しさと羨ましさを感じるようになっていることに気付く。探偵はBARにいる3のキャッチコピーを思い出す。胸の中心に穴が空いているような錯覚を覚え心細くなった。
自分のために頑張れない人の選択肢って2つしかないのかもしれない。頑張らなくても出来ることをやるか、自分以外の誰かのために頑張るような環境に身を置くか。
責任を取りきれなかった場合を考えると動物含め後者は無理。となると前者だが、じゃあ何を?というのがおそらく現在地。今日はここまで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?