不安の中にいる人は、何かうまくて手っ取り早い方法はないかと考える傾向にあるが、実はそんなものはない。
最近、ドチャクソに落ち込んでしまい、元に戻るまで10日間かかりました。
大学生の頃の醜形恐怖症と気分循環症(自分ではこの病名が一番しっくりくるかも)だった頃まで引き戻されてしまった感じでした。
頭が悪くなり、言葉も出ないし、事実とそれ以上の自分の価値観を入れた妄想(医学用語の方の妄想ではない)をして囚われていることが増えました。
そして免疫力が落ちて肺炎になってしまい(相当な落ち込み具合 笑)、医者の友人からは入院レベルと言われるくらい気管が閉塞し呼吸が苦しく、マインドフルネス瞑想をすることができませんでした。
そうすると、全て忘れていきました。
そうすると、というか、絶望状態になった時点で頭が悪くなり、全て忘れました。
呼吸に集中すること、身体を信頼すること、五感を感じること、気づくこと、囚われないこと、日常生活でもマインドフルな状態を取り入れることなど・・全て忘れていきました。
不安の中にいると、姿勢は悪くなり、自己否定、自責になり、さらに悪循環。囚われが強くなります。
日常をマインドフルな状態で過ごすことも忘れ去られていることに気づいてはいました。
なぜ忘れたんだろう。
きっと、
・「結局このやり方は間違っていた」と潜在的に刷り込まれてしまった
・早く復活したいからと急いでしまい他に上手く早く復活する方法を探していた
・自己否定からあることにずっと不安になってしまい、ずっと思考しておかないと危険だから、思考を手放して日常生活をマインドフルに過ごしたいとすら思えなかった。(不安を手放す勇気が出なかった)
不安になると、日常を丁寧に過ごすことが出来なくなります。何かに囚われ頭で身体を動かしている感じです。身体を信頼していないので思考が優位になってしまいます。ずっと警戒しているからです。
これは、発達性トラウマ障害がADHD様の症状が出ること似ていると思います。実際自分もそうでした。
今回の落ち込んでしまった一番のトリガーは、めちゃくちゃ気持ち良いと分かっていることを、罪悪感のせいで自分にさせなかったからです。
良くなるきっかけになったのは、友人とラーメンを食べたことかもしれません。正直その1時間後に銀座の鮨の予定でしたし、ラーメンとか非合理的で太る食べ物を10年くらい食べてなかったので、ラーメンを食べるなんて普段ならあり得ないのですが、なんか食べたくなったのです。
それは友人に強く誘われたからとかではなく、自分の本心からの気持ちでした。
昔からラーメンを避けていたのは、単なる小麦を美味しい液体に絡めて食べてるだけの栄養源にならない食べ物で太りたくない。と言う理由でした。食べると太るので罪悪感が湧くのが目に浮かびますから。
でも、ドチャクソに病んでしまったきっかけのことから学んだこととして、私は罪悪感で気持ち良いことを自分に制限しないって決めたので、自分にラーメンを食べることを許可しました。罪悪感が一番肌に悪い。
1時間後に鮨だったけど。
鮨には7年くらい通ってますが、最近、「前はめっちゃ食べてたのにね」って言われます。
前は頭で食べてました。かなりの過食症でしたね。早食いだったし。必要のないものまで食べてました。
今は、身体の声を聞きながら食べるようにしています。
前ならラーメン食べた後に鮨も全部食べるだろうけど。
それは、お腹の声を聞かず、「出されたものは全部食べるべきだ」と言う誰かの価値観で食べているということです。
今回はお腹いっぱいになるちょっと前にお鮨にストップかけました。
そして、良くなるきっかけの超気持ち良くなっちゃうくらい美味しいラーメンと、超気持ち良い音楽を聴き、散々身体に気持ち良いことをさせてあげ、家に帰って、瞑想を久しぶりにしました。
鮨を食べてる最中から、肺炎がだんだん治ってきて、気管の閉塞が解除されたので呼吸瞑想をしてみました。
びっくりしました。雑念には気づくけど、それに囚われる時間が圧倒的に前より長くなっていることに。
なるほど、前は瞑想で囚われない訓練をしていたからうまくことが進んでいたんだ。前は瞑想でも日常生活でも本当に囚われる時間が短かったのです。不安はなかったし、不安に気づいてもすぐに今ここに戻って来れていました。直感も冴え渡り、集中力もありました。外部に反応全くしませんでした。モテてました。
ここで気づきました。
私は、瞑想ではない他のもっと上手い改善の仕方はないか思考実験しながら探していたけど、結局マインドフルネス瞑想が一番良い方法だったと。
患者さんに他の方法ないですかって聞かれるんですけど、そんな手っ取り早い方法はありません。
普段からそういう考え方をしていたのに、それにさえ気づかなかった。
そこまでドチャクソに落ちていたんだと思います。
人間は不安になると本当に短絡的な人間になりますね。長い目で見れない。だから、みんなマインドフルネス瞑想という心の筋トレを避けようとするのでしょう。筋トレだから手っ取り早くない。
本当は一番、外部の環境に影響されないやり方です。気づく力と、囚われない力がつけられます。
外部の環境に影響されると、自分じゃない自分で生きることになります。
本当に自分がしたいことを知らない状態で生きることになります。とりあえず現状というものが与えられてその現状の中でこれが欲しいと思っているだけです。
外部の環境に容易に影響されるということは、それに囚われ続け、自分で自分の感情をコントロールできないということにも繋がります。
コントロールできないと、不安に囚われその不安通りの現実が作られます。
悪循環です。
ですから外部の環境に影響されない自分を作ることは、本当に大切なのです。
それがマインドフルネス瞑想です。
一度絶望まで落ち込んだあと、10日で今の自分まで取り戻したのはマインドフルネス瞑想のおかげかと思います。私はあそこまで絶望したら、昔の私ならもう年単位で立ち上がれません。
明日はチャクラ調整に行ってきます。
肺炎の前兆の咽頭痛の時、医学部時代の友人には、「最近マイコプラズマ流行っているしね」と言われ、大阪で仲の良い友人には、「第5チャクラ乱れてんじゃね」と言われ、捉え方の階層が違い面白かったです。どちらも正解だと思います。