記憶に残るコンサートを作り上げるということ。
もし自分が企画したコンサートが実現したとしたら?
たぶん何も手につかなくなるくらいそれはうれしくもあり、同時に大きな重圧を感じることだったりするのだろう。
過去に一度だけ、それに近い経験をしたことがある。
横浜の公共ホールの貸館担当だったころ、僕は同じように遅番で机に座っていた事業担当者にこう提案したのだ。
「そうだ、来年はドビュッシーの没後百年ですよ。持ち込み企画ばっかりじゃ面白くないじゃないですか。Aさん、たまには特別コンサートとかできませんかねえ」
僕よりずっと若いのに、たった一人でそのホールの主催公演を一手に引き受けていた彼は、何やらふ~んとうなずいた。
「そうですね。室内楽曲なら数もそんなにないし、できるかもしれません」
ドビュッシー好きの彼はそう言って、ふっと小さな息を漏らした。
翌日、彼はさっそくラインナップを考えてきた。
初期の代表作である弦楽四重奏曲。これは外せない。あとは後期の三部作。傑作の誉れ高いフルート、ヴィオラとハープのためのソナタ。いぶし銀のチェロ・ソナタ。そして遺作であるヴァイオリン・ソナタ。それに無伴奏フルートのための「シラクシス」を加えれば、一晩のコンサートとして成立するかもしれない。
彼の頭の中にはもう実際に演奏してくれるアーティストの顔も浮かんでいた。さすがである。
「いいんじゃないですか。絶対話題になりますよ。ぜひトライしてみてください」
僕は少しうわずった声でそう言うと、ひとつ大きくうなずいた。
実現したのは約一年後。でもそのとき、僕はもうそのホールにはいなかった。
Aさんは大学でコンサート企画やホール運営を学んだプロ中のプロだ。でも彼は一人で年間50本近い公演をこなしていくことに強烈なプレッシャーを感じていた。
もはや海外の有名アーティストを連れてくるだけでお客さんが集まる時代ではない。主催する側の思いや工夫がなければ、どんなコンサートも平凡でつまらないものになってしまう。そしてもしお客さんが入らなければたちまち赤字に転落し、その責任はやはり事業担当者の肩にかかってしまうのだ。
彼はよく言っていた。自分で何でもできるのは楽しいけれど、ときには誰かに相談したくなると。
僕は別に相談されたわけではない。勝手に思いついて話しかけただけだ。それでもそんなたわいのないことが彼の役に少しは立ったと、いまは信じていたい。
昨年だったか、早朝のクラシック番組でこのときのコンサートが2回に分けて放送された。
懐かしいホールのステージの上で、いまをときめく日本の女性アーティストたちがドビュッシーの名曲を次々と披露した。
おそらく下手の袖にはきちんとスーツを着たAさんが律儀にたたずんで、演奏を終えたアーティストたちを温かい拍手で迎えていたことだろう。
ひとつのコンサートを作り上げる。最初はかすかなひらめきだ。それが徐々に大きくなって、何人もの人たちの手を借りながら誰かの胸を震わせるステージへと成長していく。
なんてすばらしい仕事なんだろうとあらためて思う。
僕はもう手が届かないけれど、その夢に向かってまっすぐに生きている人がすぐ近くにいる。
奇をてらわず、純粋に自分がやりたいと思い描く企画を立ててほしいと思う。
どうしたってそこには自分というものが現れるのだから。恐れず、希望を持って大胆に進んでほしい。
僕も少なからず力を貸せればと願っている。このドビュッシーのときのように。
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