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天性の無邪気さがシューベルトの最大の魅力。


ゴールデン・ウィークが明け、強烈な日差しが戻った東京。仕事の合間に会社を抜け出し、近所の神社を散策した。

赤い鳥居に新緑の木々が寄り添う。境内もいたるところに鮮やかな緑が。いまはほぼ毎日のように午後三時を過ぎるとこの場所に来ている。お参りすることもあるけれど、なんとなくぶらぶらと歩き回る。それだけで心がすっと軽くなる。

ふとシューベルトの「春の夢」のメロディが浮かんだ。歌曲集「冬の旅」のちょうど真ん中あたり、第11曲。明るい未来と希望を感じさせる曲だ。
「冬の旅」は母親が好きで、僕も子どもの頃からよく聴いていた。ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウのバリトン、ピアノはジェラルド・ムーア。当時は「春の夢」がダントツのいちばんで、その次は「おやすみ」か「菩提樹」が好きだった。後半の渋い「道しるべ」や最後のつぶやくような「辻音楽師」の良さがわかってきたのはずいぶん年を経てきてからだ。

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600曲近くあるシューベルトのリートの中で、僕が知っているのはほんの一握りだろう。それでも「糸をつむぐグレートヒェン」や「楽に寄す」、「シルヴィアに」、「夜と夢」、「アヴェ・マリア」など、いくつも忘れられない歌がある。主にそれらはエリー・アメリングの透明なソプラノで記憶された。

シューベルトはピアノ作品も膨大だ。ピアノ・ソナタだけで20曲もある。特に最後の三つのソナタが有名だが、僕は断然、第19番変ロ長調を推す。第一楽章の、まるで淡い希望の足音が遠くから近づいてくるようなメロディがたまらない。

ほかにも「即興曲」とか「楽興の時」とか名曲はいくつもある。特にお勧めしたいのは4手ピアノのための幻想曲ヘ短調。シューベルトが教え子だったカロリーネ・エステルハージへの熱い思いを砂糖菓子のようにまぶしたロマンティックな曲。ひとつのピアノをふたりで弾くというところがミソなのです。

交響曲はもちろん「未完成」。「グレイト」はどこか中だるみをしているみたいであまり好きではない。弦楽四重奏曲は文句なしで「死と乙女」。ほかにはチェロとピアノの「アルペジオーネ・ソナタ」も捨てがたい。6曲あるミサ曲は第5番変イ長調と第6番変ホ長調が有名だ。僕は第5番を歌ったことがある。メロディアスですがすがしい秀作だ。

雨リング

音楽教師をしていたシューベルトは19歳のときに友人に勧められて作曲一本で生活する道を選ぶ。なかなか無謀な決断だ。当然生活は窮乏するが、彼は友人宅を転々とし、友人たちも彼になにがしかの援助を提供する。この「チーム・シューベルト」は徐々に広がり、彼らの間でシューベルトの音楽を個人的に楽しむ機会が増えていく。これが「シューベルティアーデ」と呼ばれる音楽会の始まりだ。

貧しくとも、惜しみない援助を与えてくれる友人たちの中にあって、シューベルトはおそらく幸せだったにちがいない。彼の作品は自分のやりたいことをとことん追求するようなスタイル。だからピアノ・ソナタや交響曲、オペラなんかはときに長くて饒舌な印象を受けるのだが、リートのような短いものはやりたいことが凝縮されてどれも不滅の光を放つ。

要するに、彼は子どもなのだ。天性の無邪気さが人々を魅了し、作品に輝きをもたらす。その一方で複雑なことには根気が続かない。途中で投げ出すことも多い。愛すべき駄々っ子。それがシューベルトの真実ではないだろうか。

シューベルティアーデ

死の床のシューベルトは友人たちの前で完成したばかりの「冬の旅」を弾き語りで聴かせる。しばしの沈黙。やがて友人たちは困惑して口をそろえる。

「『春の夢』以外はどれもこれも暗くて好きになれないな」

シューベルトはうつむき、少し笑いながらこうつぶやく。

「いつか君たちもこれが好きになる日がやって来るよ」

支え合い、許し合った者たちでしか交わせない会話だと思う。友人とは、そういうものだ。

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