荻昌弘という映画評論家を覚えていますか?
ある映画評論家の方から電話をいただいた。
今度、会社の近くに行くから久しぶりに会いませんかといううれしいお誘いだった。彼とは古い付き合いで、本当は去年の春に黒澤映画に関する講演会をお願いしていたのだがコロナで中止になり、そのまま不義理をしていたのだ。
当日、近くの喫茶店で旧交を温めた。彼が二十年前に出した本の改訂版を提案され、新しい項目を書き加えてくれるならと快諾した。正式な会社決定はこれからだが、上司の反応はまずまず。これならなんとか行けるだろう。
後日、彼からメールをいただいた。
「ようやくいっしょに仕事ができますね。荻さんの次に僕の本を出してくれるはずだったけど……。あれからお互い、いろいろありました」
一瞬、映画評論家・荻昌弘さんのあのふくよかな笑顔が脳裏に浮かんだ。
そうだ。最初に入った出版社で僕は荻昌弘さんの本を出そうとしていたんだ。
でもその夢は実現しなかった。荻さんが肝不全で急死したからだ。その一報を誰よりも早く知らしてくれたのが、くだんの映画評論家の方だった。
荻昌弘さんは多彩な人だった。
「月曜ロードショー」の解説を務める東大出の映画評論家。食通で知られるエッセイスト。旅番組のリポーターとしても活躍し、なにより年末の「レコード大賞」審査委員として芸能界ににらみを利かせていた。
テレビを中心に活躍していた彼にはなぜかちゃんとした著作がなかった。だからなんだろう。小さな出版社の新入社員からの「荻さんの自伝を書いてください」という手紙にすぐに返事をくれたのは。
大塚のご自宅に一度だけうかがった。書斎にあるいくつもの宝物を子どものような目をして丁寧に紹介してくれた。壁のいたるところに小さなメモが貼ってあった。「いいアイデアが思いつくとね、忘れないように貼っちゃうの」と彼は笑った。
軽井沢の別荘に行ったこともある。そのときは社長もいっしょだった。地下にある広大な書斎を案内され、「週末はビデオを持ち込んで溜まっている映画を見るんです」と巨大なモニターを前にしてご満悦な様子だった。
帰りの電車の中で社長がぼそりとつぶやいた。
「あのひとは自分の家を自慢したかったんだなあ」
僕にはそう思えなかった。なんとなく、嫌な予感がした。
体調を崩して入院されたと聞いて、順天堂大学病院までお見舞いに行った。
水が溜まったという大きなお腹を見せられたが、彼の執筆への意欲は衰えていなかった。「こんなことを書きたいんです」と目次を渡された。それは彼のこれまで生き様を見事に表していて、そっくりそのまま日本の映画史ともなりえるものだった。
だけど僕が彼に会ったのはそれが最後だった。しばらくして彼は息を引き取った。
かの映画評論家から知らせを受けた翌日、僕は黒いネクタイをカバンに忍ばせて会社に向かった。
朝一番で社長室で直訴した。これから荻さんの告別式に行かせてくださいと。
すると社長は顔を真っ赤にして激高した。
「馬鹿なことを言うな。あの男はなにも書かなかったんだぞ。そんな男の葬儀に行くというなら、これからうちの関係者の葬儀にはすべてお前に行ってもらう!」
あまりのことに僕は思考を停止した。そんなふうに考える社長のことがまったく理解できなかった。
僕はすごすごと自分の机に戻り、定時まで自分の仕事をやり続けた。
僕がその会社を辞めたのは、それから数か月後のことだった。
この世になにかを残すというのは大変なことだ。
でもそれは、時に自分の人生を賭けるほどの重大事になる。
運にも左右されるのだ。もし目の前にそんな機会が訪れたら、僕は迷わず、手を伸ばしたいと思う。
追伸
幸運なことに「作り手が注ぐ、あふれんばかりの愛について。」が「今日の注目記事」に選ばれました。多くの方に読んでいただいて、とてもうれしいです。これからもよろしくお願いします!
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