超低出生体重児で生まれてきたこと(1)
私にとって、この過去は時に励みになり時に負荷になる事実です。
今でも生後3週間の写真が残っており、時折見返してパワーをもらうほどあの写真には不思議な魔力があるのです。
今回は少し方向を変えて、産まれた時のことを2回に分けてご紹介します。
①産まれた環境が最高だった
私が産まれたのは、大阪でも新生児の受け入れが当時も現在もトップクラスの病院で、通常の妊婦さんは通院できない場所です。
高齢出産、切迫早産、流産などの様々なリスクを抱えながらも、たくさんの医療スタッフのサポートで私はこの世に生を受けたのです。
週数は22週、誕生時の重さは542gでした。
この22という数字が新生児にとって生死を分ける境目の週数で、ここを越えると1つの関門は突破したことになります。
②何も障害が無かった奇跡の生命力
未熟児の場合まず注意しなければならないのが、未熟児網膜症です。
生来ある視覚障害の1つで、誕生してすぐに検査が行われました。
その答えは、「沙綺ちゃん、大丈夫です!」。
とりあえず視覚障害者になる可能性はなくなったわけです。
さらに未熟児は肺・心臓・腸などの臓器が未完成の状態なので、
産まれた瞬間からたくさんの管やチューブで繋がれていました。
星の数ほどある病気や疾患のリスクがある中、私は必死に生きていたのです。