発達障害とXジェンダー。ダブルマイノリティの私①
昨日のネットニュースで、タレントの木下優樹菜さんが発達障害の一種「ADHD(注意欠陥多動性障害)」であることを公表したと知りました。
正直な話、ここまで発達障害ブームが強くなるとは私自身思っていませんでした。
障害ととらえるかどうかはその人次第であり、日常生活に支障をきたしているかどうかが診断の分かれ目になります。
自分の場合は毎日の服薬とノイズキャンセリングイヤホンが欠かせず、加えてパニック障害を持っています。
初めての場所に行くと動悸と発汗が発動し、最悪はその場で倒れることもあります。
最近でも事業所で脱水症状で倒れたことが記憶に新しいです。
季節や気圧の影響をモロに受けるジェットコースターの身体と付き合い始めて、もう7年になります。
人より脳の発達がゆっくりな自分にとって、コロナ禍は自分を見つめるよい薬になっていました。
その結果浮上した1つの疑問が「私は、本当に女なのか?」というもの。
ここからは自分がXジェンダーと自認するまでの軌跡をお話します。
①女性であることへの違和感
私は生物学上女なので、肩に丸みがあり胸も膨らんでいます。
身体の発育は比較的早く、中でも胸は目覚ましかったです。
小学生でなんとDカップ。
水泳の授業でクラスメイトから嫌味を言われたのをよく覚えています。
特にワンピースなどは着たくなかったですし、コンプレックスだと捉えていました。
世間は胸が小さくて苦しんでいる人たちが山ほどいるのに、自分は贅沢な悩みを持っているなと、一時期は受け入れようと思ったこともあります。
しかし、どうしても耐えられなかったのです。
この身体に違和感と嫌悪感しか覚えず、その感覚は日に日に強くなっていきました。
「女の子なんだから足を閉じて座りなさい」、「もっと女らしくしなさい」という言葉が、徐々に負担になっていったのです。
そこで生まれたのが、「自分は、女じゃない」という確信でした。
もちろん見た目は完全に女性ですが、心はどちらでもなかったのです。
スポーツカジュアルなメンズが着たいときもあれば、ヴィヴィアンウエストウッドのようなレディースを着たいときもありました。
日によってユラユラと変わる自分の心に、名前がつくのはもう少し後のことですが。
もうひとつの出来事が、これまでの友人関係でした。
②男友達としか付き合えなかった
私はもともと男っぽい性格でサバサバしていたので、女子のようなネチネチした関係を作るのが本当に苦手でした。
表では笑っていても、裏ではだれかを軽蔑したり嘲笑したりするギャップについていけず、高校時代は本当に苦しみました。
反面、男子とは普通に笑いあって過ごしていましたし、一緒に帰ったり遊んだりすることができていました。
男子のほうが正直な人が多い気がして、自分をさらけ出しても全く問題なかったのです。
特に仲良くなった人もいましたし、その面では平和な学生時代だったのかなと思います。
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