私が書き続けている理由
私がWEBライターをやっているのには大きく3つの理由があります。
今日は少し角度を変えて、WEBライターになった経緯をご紹介します。
①小さい頃から「書くこと」が苦痛ではなかった
そもそものきっかけは、兄が習字を習っていたからです。
家から近いのと先生が素晴らしいという理由で、結果10年以上通うことになります。
不器用で慣れるのに人一倍時間がかかっても、先生が「上手だね!」と褒めてくれるのと、ペンや筆が紙に触れる感触が心地よくて、時間を気にせずに無心で書いていたのを今でもよく覚えています。
それともうひとつ印象的なエピソードがあります。
小学校の頃、教室にあった偉人の伝記マンガを読破後、なぜか人物名のフルネームと亡くなった年齢をチラシに箇条書きで書いていたのです。記憶が確かなら50人は書いていたでしょう。
何故亡くなった年齢なのかは今でも謎ですが、映像記憶が強い傾向でした。
書かなくても見て覚えられるので、単語テストや漢字テストの時は助かっていました。
また家族でのテレビ団欒の時間でも、真っ白なチラシを持ってきてアニメに出てくる登場人物の名前や家族の名前などをひたすら書いていました。
自分にとって、想像力をぶつける場所は絵ではなく文字だったのです。
とにかく、小学生でお絵描きならぬ「お文字書き」をしていたのです。
②山口恵梨香さんがライターの道を作ってくれた
17歳で発達障害の診断を受け、大学卒業間近の22歳の頃。
就職活動する気にもならず、家で働ける職業をひたすら探していました。
そんな時に出会ったのが、WEBライターの大先輩である山口恵梨香さんの書籍「不登校だった私が売れっ子WEBライターになれた仕事術」です。
14歳で適応障害の診断、不登校の経験、価値観や体質まで類似点が多く、
「この人のマネをすれば、私も歩いていけるかも…」と、どんよりしていた視界が一気にクリアになり光が差したのです。
最初は得意ジャンルが分からず10万円どころか5万円も難しく、心電図のように変わる体調やフラッシュバックのせいで、生活が超不安定でした。
来年こそはフリーター人生から脱却したい思いですが、
今では得意ジャンルも案件の探し方も、何とか分かっています。
ただ、フリーランスは自由に見えて自由ではありません。
1つでも仕事や契約が途切れると強烈な不安に襲われますし、敏感気質の私は非常に大きなストレスがかかります。
体調も金銭管理も全て自己管理ですが、
1年続けた結果「向いていない理由が見つからない」のが結論でした。
③書くことが一番落ち着く
構成案を考えるのも、専用サイトに入稿するのも「苦痛ではない」のです。逆に、「仕事してるな」という自覚と働いている感覚までもらえます。
考えるのと書く行為がしっかり結びついているので、天職なのです。
朝起きたら自分の体調や気持ちを吐き出して、頭の整理をしてから仕事の準備に入ります。
書くことを仕事にする以上は、手帳やメモ帳、ペンなどの仕事道具にはこだわっていたいので、SAILORの万年筆は肌身離さず持ち歩いています。
今でもこうやって記事を入稿していることが、一番の精神安定剤です。
また、機会が整えば追加したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。