![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65298662/rectangle_large_type_2_8002ccef9e920189b86f6a1f001b1a3a.png?width=1200)
Photo by
yasu_lij
気に入らない事(偏見丸出しです)
最近YouTubのおすすめ動画に山での遭難事故の動画が上がっている。怖いもの見たさ、何やってんだからていう気持ちで見ている。
私は山登りというもには正直反対だ。それが生活のため、信仰のため、学術の為なら存分にしてほしいのだが、レジャーのように個人のエゴでしかないための登山はどうかと思っている。
山は古来より生活のため、信仰の対象としての存在があり、気軽に汚して良いものではないと思っている。
富士山にしたってゴミで汚れているという理由で世界自然遺産に認定されなかった。山登りなどで山体を汚さなければそんなことにはならなかったはずだ。
世界最高峰であるチョモランマにしても詳しくは解らないが現地では畏れや信仰の対象としてそこにあったのかもしれない。
それが今では登山の名残や遺体がそのままそこにあるらしく登山に至っては行列ができるほどらしい。
そこに畏れや美しいと思う気持ちは微塵に感じられない。あるのは個人のエゴしか見出す事しかできない。結果エゴを満たすだけ、汚すことだけしかできないならしてほしくはない。
先にあげたが動画では険しい山(そうでない山も)に登り遭難などして大変な目にあった、果ては帰らぬ人となった事例をたくさん挙げているが山を登った本人だけでなく周りの人も大変なそして辛い状況に陥っている。
たかが趣味如きでそこまでの気持ちにらならなければならないのか甚だ疑問だ。
ジョージ・マロリーが述べた以下の言葉が名言として残っている。登山をする理由を聞かれた彼は
"そこに、山があるからだ。"
こう答えたそうだが何処が名言かわからない。ただ自分のエゴを満たしたいだけにしか聞こえない。
登山に成功したら、(その)やまを征服した、または制覇した、とも言う。征服したとは何?山はそこにあり続けるだけなのに。
登山というレジャーは西洋から入ってきた文化だそうだ。彼らにとって自然とは制覇、征服する対象でしかないと昔何かの本で読んだ覚えがある。
反対に日本人は自然は畏れ、共にあるものだからそれをなんとかしようなどとは思わなかったらしい。
登山をするのは結構なのだが周りに迷惑をかけずその山に畏れと敬意を持ってしてほしいものだ。またこんな感情を持つ人間がいるということも理解して欲しい。