メンタリストのYouTubeを見なくなった理由
以前の記事にも書いたがかのメンタリストのYouTubeは以前はたまに視聴していたが今年に入ってからは視聴しなくなっていた。
その理由は本人たる私にもよくわからなかったが竹田恒泰チャンネルのかのメンタリストの話を聞いて見なくなった理由がわかった。
と同時にひろゆき氏や、堀江貴文氏がいけすかない理由も納得できた。それまでは成功者(金をより稼げている)に対する僻みかなと自分を恥じていたが氏の説明を聞いてそうではなかったと理解できた。
功利主義、判断基準が損か得か(自分にとって)だけで全て判断してる人のことらしいのだが、だからこそあれだけお金稼げるんだな、ある意味成功者なんだなと思った。
今の世の中はどれだけ金を稼げるかが、人の判断基準になっているように感じる。
私のようにコメディカルで生計を立てていた身としては日々の仕事に追われるだけでお金をより稼ごうなどは思えなかった。資格のおかげで安定した収入はあったし。
そしてこの仕事、功利主義では成り立たない仕事の一つだと思う。
今もコロナ禍で医療従事者は薄給のなか損得勘定抜きで頑張っておられる。私としてはそこにいることができる資格は持っているのだが、いかんせん身体のせいでそこに居れないというジレンマを抱えながら今を生活しているのだが。
彼ら功利主義者はこのコロナ禍の現状を憂いてるのは自分が損しそうだからのように見える。そこに社会のため家族のためといった気持ちが見えない。正論を打っており多分正しい事を言っているんだろうが私には響かない。
彼らから見たら私は落伍者で社会に対しては必要ないのだろう。今も彼らみたいにカネを稼げている存在ではないし、彼らほど税金を納めているわけでもないから。
しかし彼らも私もこの日本の国民であるのは間違いない。国家というのは究極の相互扶助の団体だと思う。そこには基本的人権という絶対に譲れないものがある。それを無視するような発言はどんなに高額を納税しているからといって到底受け入れられるものではない。
彼の発言したことが功利主義者の成れの果てならば、竹田氏の言われる通り、功利主義が危険に思う。
私の場合、こんな身体もあり、ホームレスになるほどの気概もない。これからも社会にしがみつきながら何ができる事を模索していくしかない。