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役立たず。
人が1時間あれば書けるものを
1週間かけて書いている。
いや、もう少しちゃんと説明してみる。
人が1時間あれば書けるものを
3時間かければ書けるのだが、
6日と21時間のインターバルが必要だ。
インターバルには書くことをしない。浮かんでこないから書けない。ただそれだけの理由だ。6日と21時間もインターバルがあるので、他のことをあてがってその隙間を埋め、合理的に生きようとしてみる。すると、どうなるか?埋めた分だけインターバルが伸びる。一日朝から晩まで忙しなく充実した日を過ごすと、インターバルは7日と21時間になるのだ。一年365日、毎日合理的に充実して過ごすと、一年後振り返った時に何の記事も残らないのだ。だから、無意味にただこの余白を過ごさなければならない。3時間のために。そこまでして、書く必要があるのだろうか?このサイクルの何もかもが正しいと思えないし、狂っている気がするのに、濃い霧の向こうに「生きている感覚」の気配がはっきりと感じられるのだ。
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今の私の日々は、例えるならばこういう感じである。合理的なものをあまりにも排除しすぎていて、全然正しいと思えないし、役立たずだし、長く続けられるとも思わない。でも「生きている感覚」を求めてしまうどうしようもなさに操られる他ないのだ。