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「フワちゃん」を背負わされる苦しさについて考える

詩羽さんが水曜日のカンパネラでは出せないありのままの感情を放出するためにソロによる音楽活動を始めたように、フワちゃんにとってのもう一つの居場所がラジオだったのかもしれません。
自分が好きで選んで着ていたファッションが大衆の中でキャラとして消費される、そのビジュアルに沿った人としての生き方を求められる、違う一面もあるんだよといくら言っても届かない、SNSに書くことすら許されない、自分の心を否定されるような苦しさを感じていたのでは。
そんなことない、だってあの人はギャルマインドなんでしょ、ポジティブなんでしょ、強いんでしょ、その見方こそが残酷な圧力です。
それがテレビのレギュラーを降板し、海外を回る生活を始める中でもオールナイトニッポンだけは辞めなかったのはなぜかの答えだと思います。
あの投稿の真意、僕は本人が書いたことが全てだと受け取ってはいますが、だとしても軽率なことをやってしまった背景には、「フワちゃん」を背負い続けたことによる心身の疲弊があったようにも感じますし、その状況でラジオを取り上げることで何が生じる危険性があるか、好き勝手に叩いている人にも考えて欲しいです。

サポートを頂けるような物は書けていませんが…。