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「あの人の復帰を待ち望む人達」の心を理解するために必要なこと

80年代から若い世代のカリスマとして芸能界だけじゃなく社会全体に影響を与えていたビートたけしさんがバイク事故を起こし、大きな軸を失ったことで世の中に不安が広がる中で、その発生直後という狙ったわけではないタイミングで、まさに運命的に発売されたのが松本人志さんの「遺書」で、そこに書かれた上の世代に対しても何も臆することのない主張、旧態依然としたテレビ界への批判、「笑われるのではなく笑わせている」という姿勢は、いわゆるたけしチルドレンの下の世代の若者の心を掴み、教典のように広がっていき、200万部超えのベストセラーになりました。
それと同時にごっつええ感じのコントやガキの使いの企画も「松本濃度」を強めていき、「僕はこの笑いをわかっている」というある種の優越感によって、社会の中では必ずしもメインストリームにはいなかった人達の支えになっていきます。
「クラスの中心で盛り上げている人」よりも「隅っこで面白いことを考えている自分」の方が本当は凄い、その思想を生んだのは間違いなく松本さんです。
更に日本社会全体に目を移すと、バブル崩壊後の不況は進み、あの頃にはもう戻れないことを受け入れなければいけない状況になり、その時に立て続けに起こったのが阪神大震災、そして地下鉄サリン事件です。
ここから我々はどうなっていくのか、僕らの未来に希望はあるのか、不安を増大させていく若者が求めたのは「強い言葉」であり、しかも旧世代ではなく新たなカリスマを、そんな時代の欲求に応えたのが松本さんでした。1994年の遺書ブームの反動により、翌年からは様々なメディアからのバッシングを受けることになったわけですが、そのことによって逆に「神への忠誠」を強めた人も多かったはずです、そもそも「僕はあの人を理解している」というメンタリティなわけですから。
遺書の発売、ごっつとガキの使いの先鋭化、バッシング、武道館でのたった1人のライブ、一人ごっつの開始、そしてごっつええ感じの突然の終了。
1994年〜1997年、わずか3年の間には松本さんにも芸能界にも社会的にも大きな出来事がたくさんあり、これをリアルタイムで経験した人達にとっては、全てを超えた絶対的な存在として今も君臨し続けているのだと思います。
復帰を待望する人達のことが信じられない、この国はどうなっているんだと嘆きたくなるのは当然ですが、「この人に心身を救われた」という強い体験はあらゆる社会的なモラルを軽々と超えてしまう、それは恐らくトランプ大統領を救世主として求め続けた、我々にとっては「全く共感できない人達」の姿とも似ているのでは。
そこを理解し、彼らの心に寄り添った上で議論を進めないと、待ち受けているのは深刻な分断です。

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裏本田・柴志朗(鈴木達也)
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