アートについて ゲームとアニメはアートになるのか?

正直再現性のアートは、参考にならない、いや理解できないのではないかと思っていた。

しかし、少しずつだが、そうではないということが分かってきた。日本人は、日本人のことを知らない現実、西洋の目を通してしか日本人を理解しないことを感じている。しかも、日本人が日本人を語る傲慢性を感じたりする。

深く突き詰めると、西洋人の西洋人を語る傲慢性も同様かもしれない。しかし、彼らにはまだ写実性と科学という物差しがある。これに対して、日本人には、写実性よりも共感性というフワフワとした軸が協調性を支えるうえで必要だった。

浮世絵は素晴らしい。それはなぜかといえば、西洋人が素晴らしいと言っていたから。好きだったかもしれないが、それが芸術まで昇華されたものかというと、どうだっただろう。

ゲームを好きだという人はいても、芸術だと消化している人は少ないと思われる。アートだと思う人は少ない。娯楽として突き詰めることを認める人が少ないのかもしれない。

E-Sportについても、賞金は厳しい部分がある。と横道それたが、日本の状況など、どうでもよい。

さとなおさんの文章をみて、再現性を理解するうえで大切なのは、そのコミュニティの理解とその人の人生の理解ができないと、芸術の理解ができないということだ。コンテキストからの深い理解から、一つ一つの作品が分かったとき、その法則を使い自分の世代ではこのような適用ができるだろうとはめ込む。それがデザイナーであり、かつ、アーティストの気概なのだろう。

社会に驚きを与えるのは、自分の思い付きではなく、社会に食い込み、引きずりまわす、テクノロジーであり、それが消化されたときに芸術品として認められることになるのだろう。芸術品となったときに、消費財ではなく、高価なコレクションとして取引される。

残念ながら、日本においては、浮世絵は浮世絵であり、高価に販売されるものではなかった。同様に、漫画も、原画がアートとして取引をされる存在ではなかった。

僕たちは、再度漫画家のポートフォリオ、生き様その他を世界に伝えつつ、消費財ではなく、アートとして再構成をする時代に来ていると思う。





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