感情はコストであり、パワーである

人間は、感情と理性の生き物である。
感情は、理性になる前に、生存可能性を高めるために情動という形で、引き寄せられたものだろう。つまり本能とかなり近い。
これに対して、理性は、本能と関係なく、理知的に詰めていける。再現性がある。
そうすると、感情荒ぶる数学者、物理学者などを指して、例外がいると思う人もいるだろう。

しかし、必ずしも、感情のトリガーは理性と相反しない。理屈をちゃんと述べることができても、感情荒ぶる人はいて、両立しうる。すなわち、理性的かつ情動的(天才、リーダータイプ)、理性的にかつ弱情動的(秀才タイプ)、弱理性的かつ情動的(頑固、否定タイプ、共感の神様タイプ)、弱理性的かつ弱情動的(消極タイプ)の4つのパターンが考えられる。

感情は、説明責任を負わない。分かりにくい場合コストである。理性的に、かつ、抽象的に話す時に、具体例を出せば急に敵になったり、味方になったりする。

情動的な人間は、一度先入観をもつと、結論をたてて、それから理屈をたてる。実はそれ自体は悪くない。

しかし、強い感情や癇癪をもつと、結果を予想できなくなる。結果を予想できなくなると、コストに転化される。

感情コントロール出来るかといえば、そもそも生存本能の塊である人間に、本当のところのコントロールは出来ない。つまり、一番のコストセーブは、感情があまり昂らない様に、類似の感情のものを入れることがストレスがかからないかもしれないが、それであると少人数になってしまうだろう。または、上下関係を無闇に作ろうとして、感情コントロールを失する人間も出るだろう。

リーダータイプを吸収できるリーダータイプが良いだろうが、孫さんを見る限り、なるほどウルトラ情動的×ウルトラ理性的を重ねて持っていることが必要で修業が必要なのはわかる。

感情は、分かりやすい限りはカルチャーであるが、分かりにくい予測できないものである限りコストでしかないことを認識しておくべきだろう。

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