コンプライアンスとコミュニケーションは関係性をもつか。
コンプライアンスとコミュニケーションは、言葉上何らの関係もないように見えます。しかし、無関心と無責任、無意識の責任転嫁がコンプライアンスを遵守できない要因になっている以上、コンプライアンスを遵守するにはコミュニケーションは必要不可欠です。
ただし、注意すべきなのは、双方向性のコミュニケーションではなく、一方通行のコミュニケーションが、コミュニケーションを阻害していると認識すべきなのです。
コンプラとは外部的な圧力で守ろうとしていますが、内部の人からすると、内部の圧力と外部の圧力では直接的な内部の圧力に屈してしまいます。
内部の圧力に屈するの意味は、消極的な方法になるはずで、指数関数的に思考しないリスクが高まります。現象としては、コミュニケーションを増やせと言っても、かえって無駄な雑音を増えるだけで、内部の人は嫌がります。
なぜ、多様性が叫ばれたかといえば、内部の人に気づかれずに不協和音を出してもらい、経営者層が気付くモデルに気づいたからというのが私の仮説です。
残念ながら、コンプラを叫ぶと、MeToo信者が増えて、経営者としてはやりにくくなり、すべてはパワハラとして糾弾される可能性が高くなります。会社がボロボロになりながらも、パワハラとして糾弾されるリスクがあるのであれば、誰も毒饅頭を食らうものはいないと思います。
私が現在提唱しているのは、いかにコミュニケーションコストとやるべき作業を減らし、心理的な安全性を確保していくかです。
心理的な安全性を確保するためには、雑談(雑相)は必要ですよね。
心理的な安全性は、集中ゾーンとコンフォートゾーンで組成されます。パニックゾーン←集中ゾーン→コンフォートゾーンのうち、集中ゾーンを維持できる環境づくりをつくるか。
外注、オフィス内ワーク、外ワークなどを様々な要素を組み合わせて(ここはデータベース的な精査が必要ですね)、かつ、変化の機会を与えることで、5mの活動範囲に揺らぎを与えることが必要ですね。
スキ、その他の行為は、元気玉として有効利用させていただきます。皆様のお力を少しでも世の中の改善に使わせていただきます。