メンバーの離脱は悪いことかを考える 儲ける法務その2
0.本記事の目的
カルチャーフィットをちゃんと意識して組織をマネジメントしない限り、いずれは組織はバラバラになり、分散する。
カルチャーフィットしない人を無理に引き込んだままにすると、実行が乱れ、利益を望めないこともある。そうしたときに、メンバーの離脱が悪いことか否かから考えてみるとより、シンプルな結論になる。そこで、以下の通り記載した。
1.社員の離脱の悪いイメージを無くそう
多くのケースで、解雇や退職勧奨は良くない印象で語られる。また、退職も悪いイメージで捉えられる。過去食糧難の時代なら、食べることができなくなる、雇用がないため従業員を保護する観点で色々規制することが必要であっただろう。
今は、転職市場も整っており、メンバーが変転する方が好ましく、組織が活性する場合も沢山ある。適正なメンバーを残し、フィットしない人材の流動化を促すことは、フィットしない人間を守るためにも、そして、その場にいるメンバーのためにも必要なことだったりする。
ハラスメントという言葉があるが、セクシャルハラスメントは論外だが、パワハラは拡張すると意味不明になる。禁止すると組織が成り立たなくなる。
心理的安全性を誤解すると、単なる緩いサークルで、利益の出ない赤字の垂れ流す団体になり下がり、結果的に団体は解散の憂き目にあってしまう。同様に、ハラスメントに対してあまりケアしすぎると、組織体として回らず、緩い団体として、何も生み出さなくなる。カルチャーも淀むことになり、優秀な人員もいなくなる。
心理的安全性とは、単にパニックゾーンにならないようにする状況を作ることであり、競争などを排除することではない。指揮監督などを排除することでもない。敷衍して述べると、コンフォートゾーンを超えて生産性の高いゾーン(ストレッチゾーン)で、メンバーが成長しやすい状況することである。
成長が望めない、カルチャーフィットしないメンバーは、その場所にいるだけで不幸である。なぜなら、市場は成長しない人を評価しない。カルチャーフィットしないことをそのままにする人も評価しない。なぜなら、チャンスを与えられないからである。
雇用者としてはカルチャーフィットする人を雇用するべきであるし、カルチャーフィットしない人が偶々メンバーになったとしてもフィットしないことをちゃんと伝えておくべきである。カルチャーフィットしない人がそのままとどまっても、プラスにならない。本人の幸せにならないことを伝えておくべきだろう。
2.全体最適?個別最適?
多くの裁判は、上場企業などでなされるため裁判所は労働者保護を考える。しかし、裁判所の判断は個別最適であったとしても全体最適にはならない。労働法を守ろう、経営者は悪いという流れを作ったところで、経営者になる人が減るだけで、雇用を生まない状況を作るだけだ。
経営が分からない裁判官が、雇用の苦しみをもつ経営者を断罪すれば、経営者はできるだけリスクのない方法を選ぶだけだ。業務委託、派遣、その他の手法で雇用をしないようにしていく。裁判官や為政者が、悪循環を作っていく。
如何にして、人の尊厳を下げるブラック企業を無くしていくかという疑問に答えるには、口コミや退職者の増大により潰れていく状況を作った方が良い。また、転職などの雇用の流動性を高めた方が良い。鬱になった後に守られる、死亡した後に守られる状況は好ましくない。寧ろ離脱を是とした環境づくりを作り出した方が良い。
経営者は、リスクテイキングをするのが仕事だが、不要に責任を重くして、足を引っ張っていては、目先のチャレンジができないだろう。チャレンジをしない経営者を批判するのは簡単だが、その足元を見ておいた方が良い。
人が伸びるには、1環境を変える、2習慣を変える、③付き合う人を変えるなどがあるが、1が一番効率が良い。そしてメンバーを守ることであったりする。
離脱は、実は本人のために良いこと(本人が気づかないことに気づかせる)というメリットにも気づくべきだ。ロイヤルティが高い人材なら、通常経営者は見放さない。しかし、学習をしない、言い訳を繰り返す、経営者又は仲間の陰口をたたくでは話にならない。作業の効率性を下げて、メンバーの働く環境を壊し、その人がいるだけで、その給与の数十倍ものダメージを職場に与えている。コミュニケーションコストも高く、かつ、周りのやる気を失わせていく。実は、その人自身も不幸にしている。
古いやり方やあわないやり方を批判するのは誰でも可能である。それならば独立して古いやり方を刷新することをすればよい。それが私がベンチャーを支える動力源である。古いやり方と新しいやり方で内部闘争などをされてしまっては、企業内の効率が非常に悪くなって、風通しも悪くなってしまう。組織は分けてはならない。組織は一貫しているべきであり、組織を変えるにも禅譲が好ましい。禅譲は、外部的な環境が変わりリスクが高くなったため、組織がカオス化しているときに置きやすい。その際に年功序列など意味を持たないことを知っているからだ。そうした志ある人間は、パワハラなどあればすぐに会社を辞めて、他の会社に行くだろう。
それぞれが、自分の強みに気づき、市場価値を理解していれば、パワハラその他の軋轢避けやすい。過去のやり方を押し付ければ、辞めていくことが明らかなので、上司はやり方を変えていけばよいだけの話である。
要するに、空気感を変えていくことが全体最適であり、たとえ個別最適を夢中でしても(例えば罰則などを設けたところで)経営者がリスクをとらなくなるだけで本質解ではない。
3.退職勧奨などはあくまでも本人のためにするべき
正直、退職勧奨を会社を守るためにすると思っている人は危険な人だと思う。勿論、人を自殺に追い込むサイコパスは危険すぎるので、如何に敵対しようと、裁判所で如何なる結論がでようと、会社、会社のメンバーを守るために、体を張って対応すべきであろう。人の命を守ることに妥協は必要ない。迅速に動く事で新たな被害者が出ないようにする必要がある。
これに対して、カルチャーフィットしない人については、別の場所に行けば十分活躍の可能性があることを伝えておくべきだ。なぜならその人はこの場所で単に活躍ができないだけだからだ。
会社が、本人に何らのフィードバックをせず飼い殺しにすれば市場は反応しなくなる可能性がある。しかし、今ならば同人は他の場所で活躍する場が与えられる可能性がある。
プライドを踏みにじった形で、本人を追い出しても、本人は自信を失い、多くの躓きをしてしまう可能性がある。遅ければよりチャンスを失う可能性もある。会社としては卒業生として暖かく送り出す仕組みを整えた方が良い。
一番望ましくないのは、会社が利益を出している頃であればある程度出せるのに、利益がない時に出そうとしても雀の涙程度になってしまうことだ。優秀な人材は抜けて、かつ、退職勧奨をしたい人には雀の涙しか出せない、ということであれば悪いスパイラルしか描けないであろう。
早期に、気づき適正な人員にしていくプロセスが望ましい。卒業生に対して相応の手当をできる仕組みを作っておく方が、ギリギリまで延長して雀の涙程度のお金で誤魔化すよりも感謝されることであろう。
裁判所で争うよりも、当事者で話し合いで終わる方が遥かに負担は減る。この点、弁護士を交えないで対応して、結果的に裁判所に持ち込まれてから相談されるケースもある。しかし、裁判所に持ち込まれるよりも、早い時期に弁護士と相談して、適正な契約を締結して気持ちよく卒業生を送り出した方が遥かに経営者にとっては自分の時間及び費用を使わないだろう。
そろそろ気づいてほしいのは、弁護士(同弁護士が当事者間の幸せを願う限り)は当事者及び会社の時間、費用をかけないようにするために存在しており、早期に解決をする方向にアレンジするはずだ。それに経営者が気づかないのは、弁護士へのバイアスと自分で解決したいという自らの欲求でしかない。たまに例外もあるので何とも言えないが、合意による離脱は裁判による離脱と比べてはるかに幸せである。
4.組織においてカルチャーフィットは非常に重要
組織におけるカルチャーフィット維持は、サステイナブルな経営の一環として必須であり、戦略の選定及び実行においての土台として不可欠であるため、以上のように記載する。
スキ、その他の行為は、元気玉として有効利用させていただきます。皆様のお力を少しでも世の中の改善に使わせていただきます。