反脆弱性

反脆弱性という本を読んでいたのだが、手形法で、
通説と前田説という二つの考え方があった。

思ったのは、論理を突き詰めると、脆弱性になりやすい。綺麗な論理は危ない橋を渡りやすいということだ。論理は、その前提を忘れてしまうので、その前提が覆った時に、脆くなる。前田説は相当脆い説だったのではないかなと、思う。綺麗な説、新しい説は、若い人に受ける。というよりもオポチュニティがある。

しかし、身銭を切らない説は、とにかく危うい。専門家の中でどれだけ身銭を切っている人がいるだろう。

怪しいなと思いつつ、対応していると特に問題は少ないが(反脆弱性)、逆に世論がそれに振り切ると、その前提すら忘れてしまう。

物の話だと、新しいものが壊れない、古いものは壊れやすいという説がある。しかし、綺麗に残った神殿は、50年持てばあとは30年は持つ、100年持てば80年持つなど、耐久性の見込みは上がっていく。

考えも、沢山の書物が簡単に消えていく中で孫氏の本はずっと残り、残っているからこそさらに残ることが予測される。エッジが効いた本ほど、持て囃されさらに急速に消えていく。

最新技術を使われたと記載される技術は大体消えて、要素技術はつなぎ合わされて使われるものは一般に使われる。

賢人と持て囃される人は曖昧なことしか言わず、身銭を切らない。

自動車は便利だが、台数を許容範囲超えた時点で、しかもそれぞれがスピードを上げようと躍起になる限り、指数関数的に渋滞と遅刻が増える。指数関数というのは非常に厄介で、人間はそれを予測できない。サンクションも直線形でしかイメージ出来てない。人間の想像力は予想を遥かに上回るほど陳腐で、楽観的なのだ。

本で見る限り、儲けるにはカモを見つけよと身も蓋もないことをいう。それは、まさにそういう賢そうなカモのことを言っているのだろう。

社会は、人間の想像以上に複雑である。解明したものは些細なことしかない。よって自然で自明なことには通常は敵わず、立証責任は常に我々にある。

便利なものに対しては異議はないが、全ては指数関数的に動く点は理解が必要だ。間違った努力は効率を指数関数的に落とし、正しい努力は指数関数的に効率を上げていく。

カモはそれを読めず、マスメディアその他の身銭を切らない人間の言葉だけに惑わされる。

特に理論は騙されやすい。10年、100年、1000年との時代の枠は、それだけ反脆弱性を表すものだ。

ハムラビ法典と現代の法律だと、前者の方が広く世の中に伝わっているものだろう。

伝統は、悪しき伝統と正しい伝統があるのだろう。
指数関数的に考える能力の乏しい人間は、如何にそれを見極めて、反脆弱性を身につけるのだろうか。例え他の人たちが熱狂しても、それを突き詰めることは出来るのだろうか。

この本は、カーツワイルの技術は全てを凌駕する説に反対した、人間の本質を見極めて記載されたもので、投資家にとっては良い本なのだろう。

変化は大事だが、技術に乗り遅れた人間が不幸せにならない方法とは反脆弱性を身につけて、相対的に浮き上がる仕組みを作ることではないか。

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角田進二 sumida shinji
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