新しい時代の作り方

1.国をビジネスモデルと考える

この記事は面白い。国家を儲かるビジネスモデルに考えている。
具体的には、国家、宗教、賭博、資源。

筆者は、国家にフォカースして、プラットフォームを植民地ビジネスの一環として見ている。

私の見立ては、宗教と国家という神話は、同じことだと思っている。プラットフォーム、コミュニティも宗教と位置づけている。

古代、中世、近代、現代によって宗教は違う色彩を持っていた。
古代においては、魔術(宗教)が人(王族。貴族)を統治する手段。
中世においては、宗教は武力(武人)と並立する、部族集団。天皇と武士。ローマ教皇と皇帝。
近代は、科学と金を神とした、植民地国家と株式会社(つまり商人)宗教の勃興。
現代は、国家宗教株式会社宗教、国家と資本主義の再定義が問われている。宗教は、弱者救済が特技なので、おそらく新興宗教はこれから増える。プラットフォーム、コミュニティという宗教だ。


これは国家レベルでは日本は負けているが、民衆レベルでは、日本の資本主義についてレジスタンスが成功している事例だ。

なぜ日本にプラットフォームができず、アメリカにプラットフォームが出来るかといえば、日本はアメリカ教と国家教には罹患しているが、世界を覆す宗教に触れたことがないからだと思う。

海外に進出したのは、百済の時代、秀吉の時代、明治大正昭和の戦争時期くらいだろう。武による勝負が如何に弱いか、わかりやすい例だ。

これに対して、ユダヤ教から派生したキリスト教は、恐ろしいくらい拡大した。エコシステムの作り方が半端ではない。ユダヤは虐げられるごとに、プラットフォームを目指した。キリスト教は、アメリカその他の地域に向けて植民地拡大に寄与した。
新渡戸稲造さんは、日本の宗教として、武士道を想像したかもしれない。武士道は騎士道のごとくマーケットが小さかった。
ソニーは、日の本の新しい風を届けたかもしれないが、継続的な救済ができなかった。

ローマは、パンと劇場を要求した。これに答えて、アマゾンはパンを、Netflixは劇場を用意し、アップルとマイクロソフトはインフラを用意した。フェースブックやツイッターは、人々に生きるためのツールを与えようとする。

道徳は、形式的、伝統的な儀礼に陥りやすい(既得権の武器)。パリサイ派のような匂いがする。道徳が見放した、「一隅を照らす」ことが我々の仕事。つまり、道徳を疑えというのが、我々の仕事。

政教分離は、我々に思考の停止を強制している。国家、プラットフォーム、コミュニティ、宗教は同義であり、内発的な安心感を呼び起こす。それに対応してお金を払っているのだ。

政教分離をした理由は、国家がお金を個人からちゃんと取るためである。ビジネスを考えるものは、今あることを確実に疑うことから始めることである。

エバンジェリストを作り、ちゃんとした宗教家を作り上げることである。ベニーオフのように、チャンスは沢山ある。

決して、これからの大量解雇時代を悲観してはならない。これは、新たに時代を作る幕開けだと考えるべきだ。

今の時代においては、会社のベーシックインカム制度は倒壊し、新たなビジネスモデルを作り出さないといけない時代だ。

2.デジタルトランスーフォーメーションは必須

デジタライゼーションとデジタルトランスフォーメーションは異なる。詳しくは、以下の記事をご覧になって欲しい。

大量生産時代は終わり、マスカスタマイゼーションの時代になっている。その時に、デジタルトランスフォーメーションは必須事項であり、もしそれを完遂しなければ、その企業は沈没の危機にさらされるだろう。

まずは、中規模のレッドオーシャンと言われているエリアが、ターゲットになり、次に大企業も脅威にさらされることになる。

大量に失業し、我々はもし順応しない場合、そして、順応しないと周りに勝手に判断された場合、その流れに乗れないことになる。60代、50代など、そして40代でも、統計、デジタルマーケティング、イラストレーターなどSaaSが使えない人は不要とみなされてしまう。

しかし、やらなければ国が沈没する、企業が沈没する時代においては、個別の不幸に囚われるわけにはいかない。よって、企業を再興しつつ、救える人をノアの箱舟のように救い、海に溺れる人を何かで救うしかない。

3.何で救われるのか

まずもって、企業は難しい。自分が落ちる可能性がある中で余裕などない。国は、大多数の同意を持たなければならないが、社会保障でも危機に陥る可能性がなるなかで、これ以上負荷がかかるのは国民の総意を得ることができないかもしれない。

国、企業がダメなら、非営利団体かもしれない。しかし、非営利団体は、永続的なのだろうか。何が一番永続的な媒体なのかを考える。

その答えは、宗教に行かざるを得ない。キリスト教2000年以上。バイブルは最も世間で読まれている本だ。仏教、イスラム教も非常に古い。

互助の仕組みは宗教にも備わっていた。国家が未成熟の時代、宗教が、様々な機能をしていた。政策提案機能、裁判、病院その他。心のよりどころにもされていただろう。

そう、我々は、揺り戻し期に入っている。この点、つながりによってサポートしていくと政府サイドは考えているかもしれない。

その通り、つながりが必要だ。しかし、そのつながりとはどのようにまとめたつながりなのかは明らかではない。これに対して、キブツはわかりやすい。働くことが前提になるが、働くこと自体が自己肯定感になるという、人間にとって大事なことが埋め込まれている。

人間が、生きていくうえで、必要なのは、自分が必要とされていること、十分な衣食住だ。それが確保されていれば、何とか生きていける。そうしたブロック経済ができれば、生活は可能であり、かつ、自分の能力を再度磨きなおすことが可能だ。マイナスがない、スキルを高めていくことができる環境であれば心理的な安全性が高まる。

何もないつながりからどのように個人に寄り添うことができるのだろうか。如何にシングルマザー、介護地獄、介護貧困、孤独死、子供虐待、DVに対応できるのだろうか。

筆者は、つながりだけで以上の解決方法を見つけることが未だにできない。しかし、権力の乱用のない宗教になれば話は別だ。そして、生きづらい宗教については、ブロックチェーンのように分散化された様々なコミュニティーをつくり、自分で過ごしやすい環境を作ればよい。それぞれが国のようになる。

とすると、会社のように見える。しかし、会社は労働法によって守られ、賃金等払わなければならない。しかし、宗教、その他のコミュニティーであれば、対価は何でもよい。存在でもよい。

得意な分野を切り開けばよい。そこでブロック経済化して、過度な技術変化によって危機にさらされたものを緩やかに見守ればよい。最終的に人間は自分が必要とされていること、十分な衣食住があればよいのだ。

存在その者が価値、ウェルビーイングが大事な価値だ。今は、ある意味で過渡期、産業革命と同じ時期になっている。

4.スピリチャル2.0

今の機械化によって、適応できない人間が増えたとき、我々は癒しが必要になり、肯定感を持たなければならない。落ち着いて、判断をしなければならなくなる。

今、医療的には様々な改善が見受けられるが、残念ながらメンタル的な側面では我々の心にケアをするものはない。

無条件にいてもよいというウェルビーイングは、国家からすると持ちきれないものであろう。今までの宗教家、宗教でも、この点について、なすすべは無いように思われる。あれば、その人は幸せだ。すがるものがあり、周囲を優しくすることができるのであれば、それが自己肯定感を高めるものであろう。

流れ的に、技術が進めば進むほど、社会が混とんになればなるほど、スピリチャルのアップデートは進むであろう。但し、それは科学のフィルターを通してだろう。その理由は、再現性のないファクトを、信じることが徐々に許されない環境にあるからだ。

それを、スピリチャル2.0と呼ぶこととする。

5.新しい時代の作り方

帰結としては、時代はテクノロジーが作り出し、そのテクノロジーというプラットフォームを使いこなした人間が新しい時代の頂点に立ちやすい。

但し、人間の心のケアをしない王朝は秦の時代のようにすぐ滅びたように、ソフトがなければ、長持ちせず不安定になるであろう。

そうしたコミュニティー運営のためにそれぞれがスピリチャル2.0ともいうOSを入れて、ルールを設定することになるのだろう。そのルールが適性と判断された場合、横展開されて、大きな集団でもアップデートされるのだろう。



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角田進二 sumida shinji
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