手持ちのカード。受動能動我慢
すごい難しいことを言語化している。
受動の我慢は、コントロールできない事項の我慢の話かなと。
能動の我慢は、コントロールしがたい事項の我慢かなと。
コントロールできない事項の我慢は、外部的事情なので我慢をする以前に、まあそんなものだと手札を持っている感覚で良い気がする。問題なのは、本来的にはコントロールできる手札があるのに、気付かず諦めてしまうこと。例えば、貧乏=勉強できないとして、奨学金のカードを忘れる。なんでも諦めるのはまずい。カードをもう一度確かめておく必要がある。もしそのカードを忘れるほどの状況ならだれかに相談する。
これに対して、能動の我慢は、手札があるのを任意に使いこなし、やりぬくこと。苦境があろうとも、まあ何とかなるさと乗り越える、しけ時の船乗りの気持ち。船に乗っているカードを使って、沖合にでて生きることを諦めない。
スポーツ選手にありがちなのは、すべての人間は同じように考えるべきだといバイアスにかかりがちであること。すべての人間の粒度が著しく低い。それならすべての人はオリンピックで一位をとっているわという非現実的なアイデアにとらわれがち。
そうではなく、それぞれが主観的に自分のカードを使っており、それは外部的な環境でもある。たまに共感カードを使い、うまくチームとして動かすことができるが、流石に世の中を動かすことはできない。そこにはインサイトと魅惑の鍵があるが埋まっていてよくわからないし、それがすぐわかるのであれば皆が優れたマーケターに慣れてしまう。
というわけで、スポーツ選手がすぐに同じようにできるわけではなく、あくまでも自分のフィールドからアンラーニングをしていくプロセスが必要ということ。
普通の人たちは、受動の我慢を続けていると、自分の手持ちのカードをいつの間にか忘れてしまうので、自分の手持ちのカードを見極めること。そのうえて、外部的な環境が非常に大事であることを認識し、ポジションを探す。自分の実力よりも、大体は場所によって収入は変わる。そうしたら、その場所を見極める(つまり、他の人間がどう思うかではなく、これから可能性のあるエリアを狙いすます)。それだけで、幸せ度は変わる。自分の場所をコントロールできるのは自分なのだから、受動の我慢をするよりも、手持ちの移動パワーは使っておきたい。