面接的な返答からの脱却
術後39日目
松葉杖を使わずに、家の中での生活がしやすくなっている。今までは入浴時に、高さのある折り畳み椅子を用意していたがそれも必要なくなり、手間が減ったことに嬉しさを感じる。
ただ、2日連続で散歩をしていたからだろうか、左膝が軋むように痛いしふくらはぎの筋肉は強張っている。歩ける喜びと、バランスの悪さによるストレスがある。やはり時折悲しくなることがある。身体のバランスと心のバランスは比例している。だから人には休息が必要なのだ。
流行語かのように『チル』と言う言葉が飛び交っていた。ドリンクまで発売されていた。流行にされたら溜まったものではない。休息は必要なのだ。流行り物にしてはいけない。
足首の痛みが強く感じる。無意識下に庇ってしまうのはいつまで続くのだろう。無意識を意識しようとするが今ひとつわからない、故にもどかしさが募る。少しずつ少しずつ、募っている気配を感じる。サラサラ、サラサラと。
「好きなタイプは?」
大半の人は恋の話が好きだ、と思っていたけれど、そもそも好き嫌いでの話題ではないのかもしれない。人が人を求めることは自然的であり、なによりも人は不完全さを備えている。不完全さ故に他者を求める。他者を求める上での簡易的な質問として「好きなタイプは?」という言葉が飛び交いやすい。自分だって使う、共通の話題としても便利だ。
(ただ、エイセクシャルの人はどうなのだろう?恋心を抱かなくても人生の上で他者を求める感情は芽生えるのかそれも芽生えないのか、今までエイセクシャルの人と出会ったことが無いので配慮に欠けている表現があったら申し訳ない。そして、いつかそういった配慮も知っていきたい。配慮というよりも、その人の気持ちを知りたい。)
ただ、自分は好きなタイプを聞かれるのがなかなか苦手だった。自分からは同様の質問をするのに、勝手な言い分ではあるが。
理由としては適した回答を持ち合わせていなかったのだ。何かしら返そうと絞り出すが、下手に言うと嘘をついているようで、勝手な罪悪感が募ってしまう。
『容姿』だろうか
『内面』だろうか
と思いを巡らせても、しっくり来ないのだ。自分の口から発した言葉がどこかぎこちない。半ば強引に嵌め込んだパズルのピースのようだ。一見絵は繋がっているように見えるけれど、後になって違うことに気付く。いや、気付いてはいるが、先に進めるために見過ごしている部分があるのだろう。だが、結局は違うという確証を得る。
困りつつ、「好きになった人がタイプ」と言うことが増えた。自分の本心というよりも、相手を納得させるための答えとして。面接でのテンプレート的な会話だ、と思いながら。次の質問に移るために。
Instagramのストーリーで募集した時に、同じ回答をしている人がいた。おそらく、上で述べた俺の思いとは違い、実際にその通りなのだろう。気を悪くしたら申し訳ない。
ただ、テンプレート的な返答をしつつも、自分の言葉に自分で疑問を持っていた。
『好きなタイプは?』と聞かれて『好きになった人』と答えるのはどこか違和感を感じていたのだ。まるで、『好きな食べ物は?』と聞かれて『食べた物』と答えているかのような。
疑問を抱くのは、明確な理由なく空洞的な言葉を使っているからなのだろうと思うと、ますますよくわからなくなっていた。人を好きにならないわけではないが、好きなタイプがわからないというのは中々厄介だ。一番厄介なのは自分の性格なのだろうが。
ただ、先日ふと、しっくりした答えを見つけた。その答えが脳裏に浮かんだ時に、探していた失くしものを見つけたような気持ちになった。古着屋で一点物を見つけた時の気持ちにも似ていた。他の人は目にも留まらなかったとしても、自分にとっては引き寄せられるかの如くしっくりくるあの感覚。
その答えが、
「10年後、20年後も一緒にいる未来が想像できる人」だった。
その後には、
「10年後、20年後に相手の隣にいる自分が想像できる人」
ともなった。
まぁ、今はこの答えがしっくりしているが、今後ますます変わっていく可能性は大いにある。服の好みが変わるように。当時は引き寄せられた服でも、今では何の引力も感じない物があるように。
そして、何故この答えがしっくりきているのかは、とても書き表せないのでここで終える。答えを見つけたことの嬉しさと、他の人はどう答えるのかの興味があったのだ。後は直接機会があれば。