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鬼とサンタとあなたと私

術後60日目

 随分と歩行は楽になってきたように思う。長時間歩いていると、徐々に左足を庇うような歩き方になってしまうが。
 まだまだ暑い日もあるが、随分と和らいだ。おかげで、散歩をするのが楽になった。子ども時代の猛暑は、このくらいの気候を指していた気がする。
 怪我をしてから、子ども時代を思い出すことが多い。それと同時に、こんなにも沢山のことを忘れていたのか、とも思う。
 これからも沢山のことを忘れていくのだろう。部屋の壁紙の劣化のように。日頃使っている鞄の痛み具合のように。忘れていたことを知るのは、思い出した時だから、いつから忘れていたかはわからない。
 今も何かが薄れて次第に忘れていくのだろう。

思い出す顔

 子どもたちに会いたいと思うし、最近会えていない友達にも会いたいと思う。中には先日会ったのに、もう会いたいと思う人もいる。
 そういう時、相手の顔を思い浮かべる。思い浮かべた顔は大抵笑顔である。過去の情景の笑顔でもあるし、自分の中のイメージでの笑顔もある。
 思い浮かべる顔が笑顔であることは嬉しい。同様に、相手が自分のことを思い浮かべた時にも、笑顔であってほしいと思う。時には困った顔や、悲しい顔、不機嫌な顔を見せていることが勿論あると思うが、笑顔が印象に残っていてくれると嬉しい。
 ただ、基本的に笑顔しか知らない相手の場合、どんな悲しみや怒りの表情を浮かべるのか、気がかりになることがある。ちゃんとそういった感情を表出できているのだろうか、と。時に笑顔は哀しさを帯びている。
 泣いた赤鬼は笑えただろうか。
 あの子は今はどんな顔だろうか。
 サンタクロースは無理していないか。
 笑顔の使命感に捉われてやいないか。
 思い浮かべる顔は笑顔が良いけれど、泣きたい時には泣こうぜって年を重ねたからこそ思う。溢れる前に表出したい。してほしい。
 子どもたちってすごい。感情の表出のプロフェッショナルだ。それでも思い浮かべる顔は笑顔なのだから、人はもっと表出の場を大事にするべきなんだ。理性なんて時に足枷。

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