ドーハに歴史を刻め[カタールワールドカップ観戦記⑤]
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11/23 ドーハ
気持ちのいい朝日とともに目が覚めた。窓を覗くと今朝カタールに到着し、キャリーケースをひいて歩いている人の姿が見える。昨日は気にもしていなかったが、向かいのアパートの窓が少し空いていて、隙間から韓国の国旗がぶら下げられていた。洗面台で顔を洗う時にふと鏡のすぐ下辺りに目をやると、その鏡を取り付ける時に引いた鉛筆の線がそのまま残っている。
午前8時、身支度をして外へ出た。砂利混じりの舗装路を歩いてバス停へ向かう。それにしてもこのバラワバラハットはとんでも無く広い。バラワバラハットとは僕の泊まっているホテルの名前で、もうホテルというより街に近いほど広い。街なら広すぎて困るくらい広い。スーパーや美容院、仮設のスターバックスまである。街の真ん中を大きな道路が貫いていて、視界の先いっぱいに果てしなく伸びている。僕が泊まっていたのはP棟で多分全体の真ん中くらいにい位置しているのだろうけど、それでも入り口から遠いので昨日はバスを降りてから無料のタクシーで送迎してもらった。
ちなみにだけど、カタールは水と果物が安い。水道水が飲めない国なので人々にとって水は必需品だし、果物はおそらくほとんどが外国産だが、それなりに需要があるのだろう。僕はスーパーで買ったサンドウィッチで朝食を済ませ、地元の人に美味しいと教えてもらった豆乳飲料を喉に流してバスに乗り込んだ。
*
遡ること9ヶ月、組み分けが行われたのは今年の3月だった。出場する32カ国は、なるべく力が偏らないような仕組みで組み分けが行われ、以下のような結果となった。
グループA —— カタール, エクアドル, セネガル, オランダ
グループB ——イングランド, イラン, アメリカ, ウェールズ
グループC ——アルゼンチン, サウジアラビア, メキシコ, ポーランド
グループD ——フランス, オーストラリア, デンマーク, チュニジア
グループE ——スペイン, ドイツ, 日本, コスタリカ
グループF ——ベルギー, カナダ, モロッコ, クロアチア
グループG ——ブラジル, セルビア, スイス, カメルーン
グループH ——ポルトガル, ガーナ, ウルグアイ, 韓国
[Japan]と書かれたくじが引かれた時、おそらく多くの日本人が戦慄したと思う。なにしろドイツとスペインと同じグループになってしまったのだ。スペインは2010年南アフリカW杯で、ドイツは2014年ブラジルW杯でトロフィを掲げている。むろん今大会も優勝候補に数えられる国々だ。
「日本がグループステージを突破するためには、コスタリカに必ず勝ちスペインかドイツに引き分けて勝ち点4を積み上げた場合の一択、 最悪全敗も免れない——」
様々な憶測やジンクスが飛び交う中、大方の報道ではこう特集されていた。スペイン、ドイツ、日本、コスタリカ、こうやって文字だけを並べてみても、この4カ国のなかで上位2チームに入る日本を想像することは簡単ではない。
また誤解を恐れずに言うと、僕はドイツ代表が好きだ。もちろん日本代表が一番だし、それは日本に生まれた僕が持つ既得権益としてしっかり享受している。でもそれはそれとして、母国を除けばドイツ代表のサッカーを魅力的に感じる。
そしてそれはどういうことかと言うと、僕はドイツ代表の強さをとてもよく知っている、ということだ。2014年、この年のワールドカップは日本代表こそ振るわなかったものの、ドイツ代表の破壊的な強さに魅せられた大会だった。それからドイツ国内リーグのサッカーを見続けてきた僕にとって、日本代表がドイツ代表を破る未来を想像するのは容易いことではない。
しかし、だ。
現地に観戦へ行くとなるとどうだろうか。
仮にも日本がドイツに勝てば、その瞬間日本サッカーに新たな歴史が誕生することになる。応援の一端を担うことができれば、その1ページの目撃者となれるかもしれない。
ワールドカップにおいて、初戦を落とした国がグループステージを突破する確率は僅か11%らしい。しかし裏を返せば、初戦に勝った国のほぼ9割がグループステージを突破している。
つまり、日本の行く末は1戦目のドイツ戦に賭かっているのだ。
サッカーワールドカップにおいて、日本は常に挑戦者だった。アジアで頂点を獲り、時には欧州を打ち負かす挑戦者。モロッコやメキシコと同じく、これまでの大会で台風の目になれる存在だった。
現在地からもう一歩踏み出して、次のステージに進む時が来ようとしている。ベスト8の壁を打ち破るその瞬間が来ようとしている。
ドイツに勝てば後はなんとかなるんじゃないか——
やっぱり僕は行くしかなかった。
*
試合開始まではまだ4時間以上あったがスタジアムに向かうことにした。アル・スーダン駅からメトロに乗れば、ゴールドラインの終点、スポーツシティ駅まではおよそ5分もからない。そこから少し歩けば決戦の地、ハリファ・インターナショナルスタジアムに辿り着く。
駅を出ると直ぐにじわっと汗がにじんだ。駅前の小広場を抜けると、ハリファ・インターナショナルスタジアムは一点の翳りもない合成背景のような空にくっきりとかたどられてそこにあった。アーチ状の骨組みが外へとひらけていて、獲物を静かに待つ食虫植物のようだ。
試合までまだ4時間以上あるというのに、サポーターたちはちらほらとスタジアムに到着し始めている。そういえば今朝起きてからここに来るまでの間、昨日とは比べ物にならないくらいの日本人とすれ違うようになった。これから日本の試合があるから当たり前といえばそうなのだけど、街で会った日本人たちとコミュニケーションを交わしているうちに「ドイツに勝てるんじゃないか」という気持ちが時々刻々と膨らんできた。
日本人もそうだけど、多くの外国人が日本代表のユニフォームを着ている。〈そんなユニフォームあったっけ?〉と思うほど、もういつのか分からないユニフォームを着ている人だっている。たとえそれが本物であっても偽物であったとしても、「ジャパン!ジャパン!」と陽気になって笑顔を振りまいている彼らのイノセントな想いは、これからドイツ代表と対峙する僕らにとってはどこまでも心強い。その熱い想いに呼応するように、僕らのボルテージも上昇している。
そしてそしてお待ちかねのサポーター同士の交流。声を掛けるのと掛けられるのが半々くらい。ブラジルW杯のテーマソング「We Are One」でピットブルも〈Watch world unite!〉と歌っているけど(多分歌っているのはシャキーラ)、サッカーで世界がひとつになっていると強く感じる瞬間はやはり国境を越えたこの交流にある。
時刻は午後3時、キックオフの1時間前になった。さっさとスタジアムに入場しよう。そしてドーハに歴史を刻もう。