最優先は本当の自分
こんにちは。翠です。
世界中の人が、スピリチュアルに生きること。自分らしく幸せに生きていける世界を創りたいと思っています。
毎日、誰かの目を気にせずに、本当の自分で生きることはとても難しい。世の中は、人の目、常識、ルールに縛られて生きていかないと非常に生きにくい。
自分だけが、はみ出していると、変な人だというレッテルを貼られて、その場にいにくくなる。そんな感じの世の中です。
さて、今の私がいる環境は、そこを辞めようと言う人たちがほとんどなので、一般社会からすると、少しはましだとは思いますが、スピリチュアルで生きていこうと言う人は、悪い意味で常識はずれで、とても巧妙に、勉強してきたスピリチュアルの概念をぶつけてくる。
本当に巧妙に、人の良心に働きかけて、その人がやりたいこをやりたいようにしようとすると、意地悪だとか、相手のことを考えていないとか、自己中心的だと言って、阻止しようとするのだ。
今朝のこと。仕事を始めたとたんにそれが訪れた。
私は、本当は、それをしたくなかったんだけど、それを拒否し続けることが人としてどうなのか?という疑問が湧いてくる。
この「人として」というのが厄介な概念です。
だから?なに?
「人として」ちゃんとすることが、どれほど大事なのか?
それよりも大事なことがある。それは自分の、本当の自分が望むことをすることです。
誰の目も気にせずに、誰かに迎合するのでもなく、自分のやりたいことをやりたいようにするしかない。
私は、これは今朝妥協をしたんです。しかし、一般的には妥協しない態度の方が非人情だし、人として最悪だし、それを居続けることの方が大変なんです。
人から白い目で見られるかもしれないし、上司から叱られるかもしれないし、友達から嫌われるかもしれない。
そんな恐れが、出てくるんです。
この恐れっちゅうものがやっかいもの。恐いですね。人から批判されることは。
しかし、それよりも恐いのが、自分の「やりたい」とか「やりたくない」を無視することです。
それは、泣き叫んでいる子供を放置するようなものです。その内、子供はやさぐれていきます。
自分の声を、自分の希望を、自分の欲求を自分が自分に許可していくことで全てがうまく回り始めます。
妥協してごめんなさい。許してください。
いつもそばにいてくれてありがとう。愛しています。
ホ・オポノポノで体験をクリーニングして、また、自分の声に徹底的に従います。
いつだって、どんな時だって、自分自身と繋がって生きていこう。