勝手に小さな伊達直人!?
春なのに……
「用事がなくても、誰かに電話するっていい。用が無くてもいい」
そう発したら、本当に電話がかかってきたようむ員です。こういうのって、ブーメランっていうんでしょうか笑。
田舎にいると、ナチュラルに自粛生活。毎日、家と会社の往復、時々ゆっくり小学校。
あ、ゆっくり小学校は春真っ盛り。ダイコンの花がいっぱいです。アルプスの少女ハイジごっこができます。“あの世”気分も味わえます笑。
自然界に身を置くと、人に逢えなくても、なぜか安心感しかありません。だからみんな、ポツンと一軒家に憧れるのでしょう。自然界が美しくあれば、むしろ人がじゃまに感じてしまいます笑。虫やヘビとも仲よくなれます笑。
人間界はといえば、春なのに冬。じっとしてなきゃなんない。耐え忍ばなきゃならない。春なのに、ため息またひとつ、と歌いたくなりますね笑。(歌詞:中島みゆき 歌:柏原芳恵)
都市部の人はいま、外にも出られない。大変です。どうぞ田舎へ! と言いたいけれど、それも言えない。でも、言いたい。都会がまるごとダイヤモンド・プリンセスのようになるんじゃないか。ま、そのうち田舎だって、外出禁止になるのかも。同じ文明の中に生きているんですから。
僕の住む下関には、桜の会に招かれたであろう人たちがたくさんおられるわけですが笑、さすがに僕の地元でも、いまの政府の方針に賛同できる人は少ないんだろうな。次の選挙がたのしみだ。また同じ結果になるのかも笑。
政治がどうであれ、さすがにコロナ以前となにも変わらない、なにごともなかったかのようにならないようにしたい。いまはただ、ぬか床の漬物みたく、待つ、待つ、待つ、待ち続けながらも、次の社会へ、それぞれに準備をすすめていきたいものですね。
間中ムーチョ・絵本『ぬかどこさま』より
愛と共感の大地へ
サティシュ・クマールさんの先生、インドの非暴力運動の指導者、ビノーバ・バーべは言います。
「今日、暴力の力と、国家の力が世界を支配している。私たちは第三の“ 力” を求めている。それは民衆のパワーだ」、「政府などいらない。必要なのは自分という政府である」と。
ビノーバ・バーベ・サティシュ・クマール著『怖れるなかれ 愛と共感の大地へ』(SOKEIパブリッシング)より
http://shop.yukkuri-web.com/archives/827
ビノーバは言うんです。よい政府なら、なおのこと非難すべきだと。ん、この感じ、ちょっと難しいですよね。政府がたとえよくても、権力に依存しない、統治されることのない暮らしをつくろうってことなんですね。誰もが自分自身の生活を管理し、運営できるようになる。悪い政府がはびこっているうちに笑、自治の力を、民衆の力を高められたらいいなあ。
勝手に逆クラウド・ファンディング
貧乏人の神さまと人々から慕われ、生涯、所有しない生き方を、無私を貫いたビノーバ。お金が一番大事しゃないとわかっていても、実際にお金を手放すのは簡単じゃないですね笑。
全てを明け渡せなくても、もたもたする政府に代わって、急場をしのげない友人に、そっとへそくりを差し出してみる。勝手に逆クラウド・ファンディング、勝手に小さな伊達直人になるっていうのはどうだろう。もうすでに、多くの人がやっているのかな。寄付のように、どこかに託すんじゃなくて、困ってる友人に、勝手におくってみる。なにかを前払いするのでもいい。もらう人が負担を感じるなら、貸すってことにすればいい。もらった人が要らなければ、誰かにまわせばいい。お金でできることは限られているけれど、便利なツールでもある。助け合いの輪の中にお金がぐるぐるまわるのもいいんじゃないかな。
「伊達宗則参上か?」 絵:間中ムーチョ
真の恵み
「太陽が昇らなくなれば、世界はそれまでです。雨の恵みがなくなれば、やはり世界の終わり。私たちが真に必要としているのは神の恵みであって、役所の恵みではありません。…… 人々はいつも、政府はこれをやってくれない、あれもやらないと不平を言います。でもその政府とは、結局、何なのでしょう? 政府は全能の神より強力だとでもいうのでしょうか? 神は私たちに雨の恵みを与えてくれます。でも雨だけでは作物は育たない。雑草ばかりがはびこるかもしれません。作物を収穫するために、農民たちは汗をかかねばなりません。もし神が食べものを与えてくれないのなら、政府が与えてくれるのでしょうか?」 ビノーバ・バーベ
ゆっくり小学校では、今日も野菜もハーブも実っています。惜しみなく、恵みを与えてくれます。もちろん人の手を借りながら。だから、人々は汗をかかねばならない。僕もいよいよペーパー農民を返上するときです。
で、この騒ぎが終わったら、堂々と言いたいな。「かえっておいで」、と。