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<まっしー運命学研究所>神的な自分を探す3:断捨離③

ども、所長のまっし〜でございます。

イメージの世界では物質的な法則はあまり通用せず、言わば夢の中のようなもの。
科学が進めば進む程に、生活は心が要になっていくと思っております。

では行きます。

断捨離は迷いを捨て心をに近付ける行為。

心が軽くなる実感が在れば、それだけで良く、
他人から何をされても、言われても心を重くしているのは、自らの価値観です。

自身の体験上、変化の効果を感じても、その変化が持続しないとどうしても飽きます。

運命や心のエクササイズという視点で見ることで持続することが出来るのかと思います。

さて一つ以下はフィクションのストーリーです。

「世界に全てのものにエネルギーが宿っているという感性を持っている、ある自然豊かな国がありました。

そこに生きる人には体力のようなエネルギーの数値があり、行動を起こす際、エネルギーを消費し、
物を持っているだけでも、常にいくらかのエネルギーを消費するという考え方をしていました。

人を攻撃するにもエネルギーを消費し、相手もその攻撃によって、エネルギーが減ることになります。

また、分けて貰ったり癒しや喜びを受けることで回復することが出来ます。

物そのものより行動や気持ちにエネルギーが乗っているという感性ですので、お互いにエネルギーを高め合うことに重きを置いていました。

この国では争いが無く、平和が当たり前でしたが、工業や科学の発展と共に、物にあふれ人々は富を手にしました。

貴重な物を独り占めする者が現れ、次第に取り合い、争いが起こるようになりました。

人々は自分を守る為という正義を掲げ、お互いをすり減らしあうことになり、物を得る為の競争、周りを敵視、気を張る事ばかりにエネルギーを使うようになりました。

いつしか自分の為にエネルギーが使えないという縛られた暮らしになり、全てのものにエネルギーが宿っているという感性をも失なってしまいました。

しかし、人々はのちに、とある事をきっかけにかつての感性を思い出し、エネルギーは与え合った方が無駄が無いことを思い出し、手にした富や科学とも上手く付き合える方法を編み出し、平和になりました…。」

…駄文を失礼しております。

これがもし自分に当てはまると感じるのであれば、心の世界は物質中心という限られた感性に縛られていることが解るのではないかと思います。

心や想いはエネルギーです。

それでは次回は、正義について語らせて頂きます。

因みに所長は偉そうに人生を語っている割に、自身も矛盾を抱え、どうしようもないこともあります。
ただ一つ言えることは、悩まないし迷いません。
生き方でこれは可能ということかと思います。


ありがとうございます。

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