<まっしー運命学研究所>内なる自分と出会う8:大衆性
ども、所長のまっし〜でございます。
オリジナル作品というものは、真似をしている内に、この方が良いとかこんなものがあったらな等、内側から湧いて来る衝動により創られるのだと思っております。
カバーもパロディも立派なオリジナルかと思います。
では行きます。
人は常に新しいものを求め、生んで来ました。
その上に文化は創られて来ており、このことから、
「新しいものはオリジナリティが創り、コピーは劣化する法則」が在ると考えております。
POPは大衆性。
COREは分かる人にしか分からないもの。
これはあくまでも所長の経験則から来る傾向の話です。
POPの中にもオリジナリティやコピーは混在し、COREの中にも同じく混在。
音楽では新たなジャンルが生まれる時、常にCOREなものを追求した人達が創って来ました。
プロアマチュア問わず、オリジナリティのぶつかり合いによって、絶妙なバランス感覚で作品を練り上げる人達が必ず現れて創られて来ました。
これから先もそうだと思います。
COREものはアンダーグラウンドで温まり新しい作品として産まれて来る。
アンダーグラウンドを盛り上げるのは当然COREな人達です。
この時点では革新的なもの程、POPとはかけ離れたものが多く大衆には全く受け入れられないものがほとんどです。
しかしこれが一度世に広がり出すとしれっと流行る。
もしくは一部を取り入れたものが大衆化する。
こういったケースを音楽に限らず色々なパターンを見て来ましたので、先程あげた法則は間違いないとは思っております。
ここで大事なのは新しいものを生み出したのはその人達だけではなく、シーンを盛り上げたCOREな人達、リスナー、興味を持った人など、そのジャンルを追求した人達も含めた総合力ということ。
頭1つ抜き出てまとめ上げた人が世に出ることになります。
その裏では様々なCOREマインドの共鳴、反共鳴が起こっているということです。
POPの中にもCOREは生きるし、COREの中にもPOPがある。
COREな音楽の中にもあからさまなパクリをし、オリジナリティのかけらもないミーハーな人はいますからね。
ただし物事には側面があり、ミーハーも物語を盛り上げる大事な要素。
正解、不正解は無く、様々な人達が多種多様の持論を展開しアウトプットすることでシーンは創られて行くわけです。
大衆に受け入れられなくとも絶対に曲げない気持ちを持った時点で、
その想いは、革命を起こす為の総合力の1つで在るのではないでしょうか。
それでは次回は心の集いについて語らせて頂きます。
因みにルーツを遡ると殆どの人が何かしらのコピーに影響を受けていることが分かります。
基本的には皆んなパクリで良いのではないかと思う今日この頃。
遡るの逆側に目を向けた方が平和な気がしております。
ありがとうございます。