<まっしー運命学研究所>神的な自分を探す4:正義
ども、所長のまっし〜でございます。
人が"違い"を攻撃してしまうのは、主に競争観念から来ています。
以前の記事で善悪の概念を語りました。
ここでは、正義の持つ力について語りたいと思います。
では行きます。
人にはそれぞれの正義があります。
現実は自分が起こしているという観点からすると、正義も悪も自分の投影。
普通は認めたくありませんよね。
悪寒する現象を自分が呼んでいるなどとは思いたくもないし、ましてや国や世界規模のこととなると、人一人の力でこの世界が創られているわけが無いと思うのが普通です。
自分の正義と相反するものは受け入れられない価値観という封印があります。
ただこれはこの手の話を含めて傷口ににがりを擦り込むような話になりがち。
反作用の起こる想いを伝えるよりも、はたまた空気を読んだ意見を言うよりも、内から湧き上がる理想を伝えることが大事かなと思います。
所長の思う正義とは、子供達の笑顔いっぱいの世界を創ることです。
敵を倒すではなく、無効化する術を手にすることです。
単純なことが理想。
理想は単純。
行動を縛らず、しつけは背中を見せ、自分が子供の頃考えてたことを思い出して自由に生きられる社会。
童心は見る物を新鮮に感じさせます。
子供の好奇心が、行動へと自由に繋がる社会にし、失敗を責めず温かく見守り、応援し、その子の個性を伸ばしてあげられる社会。
ダメなことはダメと家族以外、周りで叱ってあげることを出来るのは自他の分離をやめた姿。
近所、学校、地域コミュニティなども、自分と他人という区別が無い価値観であれば、一人で難を抱える必要も無いのです。
人の想いを善悪で決めずに、察して受け入れる能力が高まっているのであれば、争いは無駄に起きない。
子供にもそうです。
顔色伺わせ怯えさせたくありません。
大人の背中を見て子供は育つ。
理屈ではないのであります。
その社会の教えの価値観を切り替え、共生していく姿勢が自由を呼びます。
内なる自分が悪を消した時、本当の意味での克服なのです。
外から来る価値観での克服はその後も次から次へとやって来ます。
これも法則かと思います。
嫌いな人がいる場合、いなくなってもまた新たに嫌いな人が現れる。
そんな経験あるのではないでしょうか。
内なる自分、本当の自分は自身が神であることを知っていて、どんなことにでも楽しみに変える力が在る。
こういった捉え方は価値観を変える為、思想だとしても充分な効果があるのではないでしょうか。
それでは、次回は限界について語らせて頂きます。
因みに、どんなことでも結果を求めるのであれば安定感が大事です。
楽器の演奏を例にあげると、綺麗なフォームは綺麗な音を産みます。
生き方にも動き方、姿勢に同じようなものがあると思います。
ありがとうございます。