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<まっしー運命学研究所>神的な自分を探す10:神
ども所長のまっし〜でございます。
イメージの世界は三次元とは違う世界。その世界観を伝え共有する手段は、感性であったり芸術であったり、スポーツであったりと人それぞれの心の表現や想像の表現という考え方をしております。
では行きます。
世の中は物理原則に沿って流れるように巡っています。
様々な現象が生活に影響を与え、人々は学び、その積み重ねが教えとなり日々を暮らしていると思います。
昔から人は水や物の、上から下に向かう法則を利用したり、火が物に移っていくことを知り、よく燃えるものを研究したりして来たこと等、自然の法則を解明し向上心によって、様々な文化を産み出して来ました。
重力一つとっても、常に働いているこの法則は何だろう?と昔の人は考えたと思います。
火にも風にも光にも自然の仕組みを感じて来た筈です。
そう言った自然の力に昔の人は神が宿っていると考えていたと、所長は認識しております。
科学が発展しあらゆる物が人工物ばかりになり、現代人は自然の持つ力に生かされている感性を忘れつつあります。
どこまで科学が発展しようと自然原則を利用したものであるのです。
量子論にしろ顕微鏡を使っても見えないような世界の物理法則。
起源は百年程遡り意外と現代の科学技術に応用されているとのことです。
これもまた自然原則があるわけで、どこまで行っても在る宇宙の理。
所長はこの宇宙の理を神と考えております。
全てのものに宿っているということです。
物にも行動にも想いにも言葉にも宿る、この世の全てを創るエネルギー。
所長はここに途方もない無限の力を感じます。
そしてこれも在ると感じれば在る。
無いと感じれば無い。
見えない世界の法則はこういうものだと思っております。
所長は無限の力に目を向けて、それが在ると認識すると、底無しで膨大なエネルギーに包まれる感覚がします。
このように私達の先人は神を感じ、信仰していたのではないかと思っております。
科学の無い世界に生きた人々。
私達現代人の感覚からすると、想像を絶する馬鹿だったかも知れないですし、
逆に現代人の盲点を一瞬で見抜く程の観察眼と勘を持ち、知性あふれる人達であったかも知れません。
しかしこれが事実であるかということは大した問題ではなく、
重要なのは、今どうで在るかです。
過去の他人が経験したであろうことも、未来の子孫達が経験するであろうことも、ストーリーとしてとらえ、今に活かす。
これで良いと思います。
神という言葉が近年よく使われているのが不思議です。
漠然と凄いものという意味の使い方でしょうか。
これも良いですし、
意識の力が共鳴を起こす性質を分かった上で、壮大な力を感じられるのであれば良く、考え方は色々あると思います。
人工的な物が自然を壊しているかも知れませんが、人工物と言えど、自然界にある物質によって出来ているわけで、自然界の家族なのです。
物事には、主作用があれば大なり小なり副作用が在るもの。
その側面の理解さえあれば、物に振り回されずに済みますし、振り回されている人にも振り回されずに済みそうです。
万物に神、つまり宇宙の理を感じることで、何かを毛嫌いすることも減り、プラスに考える余裕が生まれます。
他にもこの世界は、神が周波数や音を使って表現した絵の世界。
この世界は、神が無駄なものを整理整頓していく物語を楽しむ掃除の世界。
これらのように神の目線を想像し、
自分しか持ち得ない感覚や個性から導き出し、内なる自分に神を感じることは、幸福感に直結すると考えております。
それでは次章から内なる自分と出会う方法論をテーマにし、次回は基礎についてを語らせて頂こうかと思います。
ありがとうございます。