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《コラム》図解思考者の私が普段どうやって物事を考えているか;(「現代思想入門」千葉雅也 を題材に)
僕は、一般的にはまあまあ珍しい、「映像思考」型なのだけど、その中でも更に珍しい「図解思考」型である。映像思考型は、言語ではなく映像によって脳内で情報処理をするタイプである。で、僕の図解思考というのは、例えば主張の論理性を吟味する時などに、脳内で図式化して理解しようとするという事だ。
哲学関連の本などを読むとする。脳内で上手く図式化出来れば、それは理解出来た事になり、上手く図式化出来なければ、何を言ってるか分からない事になる。で、これだと、しょっちゅう図式化が難しい事態が発生している。文章で理解したはいいが、しっかりと理解出来ている自信がない時が往々にしてある。例えばこの文章。
これはフロイトが言っていることですが、欲動の向かう先は一対一対応ではなく、自由 で定まっていません。だからこそ、性的な対象も最初の段階では定まっておらず、異性を 欲望するようになるという大多数の傾向は、もともと本能的にあるにはあっても、人間の 場合は欲動のレベルでそれを固め直すことになります。本能のレベルに異性愛の大きな傾 向があるにしても、欲動が流動的だから、欲動のレベルにおいてたとえば同性愛という別 の接続が成立することがありうるのです。性愛のことだけでなく、何か特定のものに強い 好みを持ったりとか、そういう自由な配線が欲動の次元で起こるのです。
これは図式化がかなり難しい。なぜなら、①まず流動的なものを図式化するというのが難しい、カオス(混沌)的な広がりを持つのか、横方向なのか縦方向なのか②本能から欲動への繋がりがどうなっているかがイマイチ明瞭ではない。なぜ本能は欲動に変換される?③実際に図式化して説明する
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さて、こうやって一旦図式化したものの、恐らく微妙に間違っている。まず、流動的だから、異性愛の本能があったとしても、同性愛のエネルギーを持つ、という話は、記号論理学的に考えれば、本来なら異性愛が同性愛に「流れる」ので、という説明になる筈だ。しかし、本書で述べられているのは、異性愛さえも再度欲動として形成されている、という事で、非常に理解が困難になっている。
なぜなら、異性愛の本能を、異性愛の欲動として再形成する、といった意味がよく分からないからだ。異性愛の本能が、欲動となる過程で、流動的になるので、同性愛にも流れる。こういった説明なら分かる。この場合、図式では、「異性」(同性)の上に欲動が被さっているべきだろう。
しかし、異性愛にしろ、再形成されているのである。なぜ?どのような力によって再形成されたのですか?つまり、矢印は何によって矢印足りえているのかが分からないのだ。このように、一見して理解が困難な箇所がある。
さて、理解困難な箇所があったらどうするか。一番簡単で、かつ最も有効な手法は、理解を放棄するという事である。ともあれ、図解思考について簡単に説明出来たと思う。因みに、図解思考について、自己啓発の方面からやたら持ち上げられているが、むしろ言語のまま処理できる方が余程凄いと私は感じる。という所で筆を置こうと思う。
追記
AIに図式化させた。
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一番目の矢印に何か入れろと私が要求したら、(人間の場合は)が入った。まあ、そういうものだと理解すればいいのだろう。