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今日、恋人が手術を受けます。
「明日から入院して手術したほうがいいって言われた。どうしよう?」と、検診から帰ってきた恋人が言ったのは、火曜日のこと。
手術を受ければ、まあ、大丈夫になるであろう病気なのだけれど。
放っておいたらいきなりバン!となる、ある意味こわいやつでして、、
気付かずに死んでしまっていたかもしれないという恐怖と、この人が死ぬでなくとも、痛かったり苦しかったり、これからなることを考えて、顔を見るだけで涙が出てしまって仕方がなかった。
しかも入院してもコロナウイルス対策で面会は原則禁止。
手術当日は来てもよいが、会うことはできないとのこと。
バーバーバーバー、朝起きて顔を見たとき、コンビニまで手を繋いで歩くとき、お風呂上がりに髪を拭いているとき、泣いた。
えーんとかじゃなく、無言でバーバーバーバー。
そんなわたしを見ては恋人は笑い、困った顔をした。
怖いのも泣きたいのも、病気になり、入院をし、手術を受ける当事者である彼だ。
わたしが泣いててもぜんぜん意味がない。
でも止まらない。
だけどこれ以上、この人に吐き出すのは違う気がする。
そんなときに付き合って少ししてから、ケンカをして仲直りした後、言われた言葉を思い出して、noteを書き始めてみました。
「今ってnoteとかあるじゃん。ポエムみたいなの書きなよ。写真も貼ったらいい。コジコジの一言みたいなのを集めたらいいよ。気持ちの吐き出しになるからやろう。悲しいことも嬉しいことも書こう。さきならできるよ。」
小さな頃のわたしは陽気なインドアで、友だちと楽しく話せるし、みんなを笑わせるのが好きだけれど、ひとりでおうちで本を読んでいる方が好きだった。
自分で培った「陽気な読書家」のお陰で、本を好きになり、言葉を好きになった。
割と言葉を重んじるタイプで、言葉の積み重ねで人間はできていると思う大人になり、Twitterを初めとするSNSをまともにやったことがない。
それはある意味、本好き故。言葉が好きで、それで距離を測るが故。
そんなわたしの気持ちもバックボーンも知るはずのないこの人が、そんなことを言ってくれちゃったもんだから。
なぜかすんなり「そうか、なんかに出してみるか」ってな気持ちになってしまった。
コジコジのように
「コジコジは生まれた時からずーっと将来もコジコジはコジコジだよ」とか、
「励ましも脅しもたいして違わないよ」とか、
そんなポップでパンクなことは書けないけれど、自分のガラクタを残すことを初めてみようと思う。
そんなことが彼の言った通り、結果的にわたしの為となって彼の為になり、「noteありがとう!」となれば、バンザイだ。
しかし、手術中の彼を待つ間にこれを書き、書くという行為のお陰で少し気持ちが落ち着いてきていて、既に「noteありがとう!」である。
早く帰ってきて、暑がりながら手を繋いで眠ろうよ。
わたしのこと好きだと言うなら、誰にも連れていかれないで。ここに戻ってきて。
おいしいビール飲みに行くぞ、うぉらっ!
また、書きます。