S式・人の育て方       長距離走の中学校の体育授業、もっと学べる

私は、人の育て方をずっと考えている。
私は未来のために、人がよりよく育つ方法を考え発表したい。
きょうは、長距離走の中学校の体育授業を見て、考えたことを発表します。

近くに中学校の運動場に隣接した公園がある。その公園から見ていると、体育の授業などでもしっかりとよく見える。ある冬の日。その中学校の体育の授業で長距離走を行っている。どうもタイム会のようだ。
ずっと走り続けている子供たちに向かって、先生が「しっかり走れ」「頑張れ」と声援している。「頑張れ」と応援している子どもたちもいるようだ。「頑張れ」「頑張れ」「しっかり走れ」と声援を受けて一生懸命走っていても、なかなか 速さが伴わなかったり、うまく走れていない子がいるのではないかと思う。子たちは一生懸命であると私は思うし、 応援すること自体 素晴らしいことだと思う。「 頑張れ」という応援することも素晴らしいことだと思うのだけれど、その先生はその方法以外に何かできなかったんだろうか と思ってしまう。このタイムを測る授業の前に、長距離を走ることもあったのではないか。その時に、もっと何かできなかっただろうか。
頑張れという言葉、それはとてもいい言葉 かもしれないが じゃすこしでも速く走るためには 具体的にどうすれば良かったのか。 具体的に どういう トレーニングをしてどのように変わればもっと早く走れるようになっていたんだろうか、精神的な応援だけでなく状況把握し、分析し、目標を立て、計画・実践し、成果を出す、そんなことができればと思っていしまう。漠然とした「しっかり走れ」「がんばれ」という精神論的声援に、ふとそう思う。

一生懸命に頑張れという声援はそれは多く見られることではある。じゃあ 具体的に何をどのようにすればどんな成果が考えられたのか、そういうことが実は大事なのではないのか。つまり 今 現状 どうなっているのか そしてどうなろうとしているのか 目標を立てる どうなりたいのか そのためにはどうすればいいのか どんなトレーニングをすればいいのか具体的に計画し それを実行していく。
長距離走るこの授業において、これらができたなら、それは多くの学びがあるように私には思える。

ただ、この長距離走の授業が、「しっかり走れ」「 頑張れ」という声援だけであったりするとなんだかな と私は思う。

未来のためにできることを、私はまた深く考え、発表する。



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