![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142292113/rectangle_large_type_2_43733d37cc61f9d4210cad1a7d2f3152.png?width=1200)
誰にでも秘密がある
「外しちゃってもいいですか」
と看護師さんに言われた時は、さすがに意味がわからずぎょっとした。何しろ私達のすぐ横にいるのは、今まさに三途の川へ一歩踏み出しちゃいそうな、酸素マスクをつけた昏睡状態の人間である。
いったい何を外すというのか。
いやまさか、そんな。
「あの、外すって何をでしょうか……?」
混乱しつつ、おそるおそる問い返した。私よりも少しだけ歳上だろうそのナースは再び言った。
「入れ歯、詰まると危ないから外してもいいですか?」
「え……?」と私達。
「あ……」とそこで何かを察したらしい看護師さん。
確かそれから数時間も経たないうちに父は亡くなったのだけれど、その瞬間の何とも間抜けな気まずさと可笑しさは、ちょっと忘れられない。
何しろ私も他の家族も、父がいつの間にか総入れ歯になっていただなんてちっとも知らなかったのだ。そして彼は、死ぬにもだいぶ若かったが、総入れ歯になるにもまだまだ若かった。
けれども思い返せば、確かに実家で同居していた時は、しばしば仕事帰りに歯医者に寄って遅くなったと言っていたこともあったものだ。なるほどそういうことだったのかと、臨終間際に明らかになる真実。
何事もスマートに済ませたい性質の父にとって、それは墓まで持っていくつもりだった隠し事なのだろう。
何とも情けないような微笑ましいような、くだらない、でもたぶん本人にとっては大きな秘密。
明るみに出るかどうかはさておき、そういう物事は、きっと誰にでもあるのだろう。
そんなことを、今朝の『虎に翼』を観ながらふと思い出した。
岡部たかしさん、直言お父さん、お疲れ様でした。